私と今とたまに母

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

JWでした、コミュニケーション下手な子供になりました

私はとにかくコミュニケーションが下手くそです。特に人のことを考えて話すことが苦手です。我が強い性格をしています。その原因はやはり、JWと母との関わりでした。

 

親子で依存になる環境

私の父は単身赴任で二週間に一回ぐらい帰ってくるかどうかで、基本は母との二人暮らしでした。

所謂ワンオペ育児で周りに知り合いもいなかった母はJWに入ったのだと思います。

これは後から、それこそ私が中学生の時に発覚したのですが、母は境界性人格障害でした。そのため、基本的に感情の起伏が激しく、機嫌の良いときは構ってもらえたり、一緒に遊んでくれたりとおそらく普通の母親でした。

ですが、怒るとくるりと掌が返り、叱るというより罵倒と鞭と無視が繰り返されました。ちゃんとした正当な躾のお叱りもありましたけど、これ確実に八つ当たりだよなってことも多かったです。一人っ子だった上に母一人子一人の生活でお互い感情の逃げ場が無く、親子で自然と依存の形となっていたと今思います。

特に、幼少期の私は幼稚園や保育園には行っておらず、JWの会衆内に同年代の子供は居ましたが、集会の日か奉仕の日の短時間少し話す程度で同年代の子供同士での触れ合いが少なく、親子の時間が必然と多かったと思います。

 

鬱陶しい子供のねえねえあのね!

子供の私では話し相手にもなれず、とにかく話を聞いて話をしたい子供の「ねえ!お母さん!ねえ!ねえ!あのね!あのね!」はめちゃくちゃキツかったのでは無いかなと思います。

母は私からの「あのねあのね」攻撃をそっくりそのまま口調も似せて真似すると私が嫌がって話しかけなくなると気付いてからは私が話しかけると真似して撃退もしくは話しかけられても無視をする、機嫌が良ければ相手をするといった感じで過ごしていました。日常の会話は母の機嫌がいい時で、普通の時は無視、機嫌が悪いと怒るだったので、母とのコミュニケーションは人と話すのではなく会話はご機嫌伺いでした。

 

所謂放置子

話したくても遊んで欲しくてもあんまり遊んでもらえないので私は近所の大きな公園に一人で行って、そこで遊んでいる見ず知らずの子供に声をかけて一緒に遊ぶを繰り返していましたが、今思えば他所の親御さんからしたら放置子が自分の子供に絡んでるという厄介な現状だったと思います。その場で遊び友達になった子供はすぐに親に連れられて帰ってました。それを無邪気にまたねと言って見送ってましたが放置子に懐かれる前にさっさと帰るのは当たり前ですね。

幼少期の私は外で見知らぬ子供と遊んで(少しだけ)、たまにJWの子供と遊んで、奉仕活動に連れていかれて集会に連れていかれるという生活でした。基本的に関わる他人はJWの関係者ばかりのため大人ばかりです。優しい人達だったので子供の相手をよくしてくれましたが、大人とのやりとりしかしていなかったせいか、幼稚園保育園辺りで培う子供同士のコミュニケーションが下手くそで小学校に上がった時に苦労しました。

物の考えや感じ方がJW基準であったため、変に大人しいというかどこか冷めてるところがあり、周りに大人ばかりだったので誰も話を自分に合わせてくれないし自分も話を合わせることが分からず、子供同士でどうすれば良いのかちんぷんかんぷんでした。

 

子供社会内での異物

コミュ下手に加え周りの子供と溝が出来る要因がありした。JWでは誕生日のお祝いや七夕、クリスマス、お正月、こどもの日から母の日父の日、バレンタインにホワイトデーなどありとあらゆる世間の行事を禁止していました。

そのため、誕生日やクリスマスに何のプレゼンを貰ったとか、図工の時間に七夕かざりや短冊を作ろうとか、そういったものに全部参加が出来ず、周りの同級生に「エホバの証人だから」なんて言おうものなら即変な奴扱いされるため、とにかく「お母さんからダメって言われてる」といっていましたが、結局浮きますよね。

しかもこの宗教の方針について、親が先生に口添えしてくれる訳じゃありません。【子供自ら先生に宗教上の理由により参加が出来ないと証言し先生に教えを広めなければならない】という決まりがありました。

一年生になりたての時はJWと一般的な感覚とは違うというのが分かってなかったので平気でしたが、流石に入学して時間が経って「あれ?今まで当たり前だったJWってもしかして変なの?」と気がつき始め、先生に言うのが苦になり、どんどん周りに自分の事を隠しました。

しかし、どれだけ隠しても奉仕の日にスカート履いて綺麗目なお洋服を着て、一軒一軒家を歩いて回る姿を同級生に見られてそれが噂となり「あいつは変な奴だ!!」となりました。

見られていた事を知ってから母に虐められるから学区内の奉仕だけは勘弁してくれと頼み込んでなんとか認めてもらいましたが、後の祭りでした。

 

JWが根本にある浮いた存在

激しい虐めはありませんでしたが、同級生には完全に距離を置かれ陰口をたたかれ、無視もありました。私の一挙手一投足を笑われ、女子によくある小さな折り紙をした手紙も回し読みされたりちょっとした嫌がらせがあり、友達も居て楽しく遊ぶこともありましたが嫌な気分になることも多かったです。

個人的にきつかったのはたまたま同じ誕生日の同級生が居て、目の前で誕生日会の話で盛り上がって居た時は羨ましく、それを分かって居たのか変な宗教のせいで誕生日会ができない私をくすくすと笑って居ました。

 

私は変?

母に「私は変なのか?」と聞いたことがありました。私が望んでいた答えは変じゃないよでしたが母からの返答は

「お前がスカした態度をとって変な子みたいな態度をとってる。お前が普通のことをしてないだけだ。気持ち悪い」

でした。これは未だに根に持っています。クールぶって斜に構えた態度をわざと取って気持ちが悪いと幾度となく言われたことがあります。普通で居ない私が悪いと言われても今まで培ってきた普通の基準がずれているのだから普通がわからず、とにかく親公認で私は変で同級生から距離を置かれるのは当たり前の気持ちが悪い子供なんだと混乱し、親への不信感が増しました。

 

視聴コンテンツの制限

さらに子供同士のコミュニケーションを下手にして居たのが一部アニメの視聴禁止と流行りのテレビ番組が集会に被さって見れず、共通の話題を作ることができなかったことです。

争い事を禁止とした教義だったため、バトル要素のあるアニメは基本禁止でした。我が家では不思議の海のナディアスラムダンクドラゴンボールetc...が禁止されて、見ているのがバレたら鞭がすっ飛んできてお説教でした。……なぜかウルトラマンセーラームーンは許されてましたが……。一部家庭ではSF内容があるからとドラえもんも禁止というところもありました。

そんな母も私が小学校に上がってから、教義でいくらJW以外の人(=世の人)との関わりを積極的に持たないようにと言われても、そうもいかず、同級生から浮いて泣いて帰る子供に対して考えを変えたのか、それとも父が何か言ってくれたのかは分かりませんが、当時流行って居たミニ四駆やラジコン、ポケモンなどの玩具が解禁されていき、学年が上がってから禁止されて居たアニメももう検閲するのが面倒くさくなったのか全面解禁され、やっと話題についていくことができるようになりましたが、集会のせいでMステが見れず、流行りのアーティストを知らずに育ち、今現在同年代との懐メロ談義についていけませんww

 

 

そんな形で、育った私は無事コミュニケーション下手へと育ち、未だに人との会話に苦労して居ます。子供の娯楽などを規制したっていい事ありません。自分の機嫌で子供を構ったって良い子供になんてならないです。親の顔を伺う鬱陶しい子供になるだけです。

 

正直、自分の要領が悪いところや斜に構えたような性格が浮いていた原因だったとは思いますが、もし、JWじゃなくて、普通に誕生日をしてクリスマスを祝ってと普通の子供たちと同じ経験をしていたらどんな性格でどんな生活だったんだろう、もっと友達もいたのかなと考えてしまいます。