私と今

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

JWでした、転機は中学校です

一度書き出すとうわーっと出て来てしまいますね。自分のブログだから自由です。

 

きっかけは社会の授業

タイトル通り、私が抜けたのは中学校の時でした。正確には小学校高学年ぐらいでしょうか。ずっとなぜ自分は周りの子供と同じことが出来ないのかして貰えないのかという不満が募り募っていました。そんな時に、社会の時間に憲法の授業が行われましたそこに「信仰の自由が全員にある」そんな当たり前なことを学び目から鱗が落ちました。強制的に学ばさせられている現状はおかしいんだ憲法違反なんだ!と光が射した気分でした。

JWは何故だか白か黒!0か100!といった極端なところがあります。わかりやすいのは排斥という制度です。喫煙は体を蝕む毒だから禁止というのがあり、タバコ一本吸おうものなら即排斥。婚前交渉をしたら淫行の罪、なんでしたら夫婦の離婚は浮気のみが認められるそれ以外は許されずそれでも離婚した場合、次に再婚したら淫行で排斥です。

この排斥というのは組織内で【対象者を死者と同じ扱いをする】ことであり、街中でばったり会って挨拶の一つもしてはなりません。家族ですら存在を無視しなければならないのです。だって死んでいるのも当然ですから。

エホバの証人エホバの証人であればいつか来るハルマゲドンで救われ、エホバの証人の死者は楽園で復活し若い体と清い心で不老不死の永遠の命を手に入れるというのがお題目です。なのでその楽園への最短切符を自ら放棄したのなら死ぬんだよね?ってことで、死んだ人扱いの無視が始まります。愛をもち隣人に寄り添えとかいう協議はどこいったんだという扱いです。

話を戻しますと、憲法という後ろ盾を得て私は母に「お母さんが私に行なっているJWの強要は憲法違反だ!」と教科書片手に詰め寄りました。ですが「あんたはサタンが作った法律とエホバの言葉どっちを信じるんだ!」と世の中の法律憲法はサタンが作った悪魔の物だから関係ないと怒られる平手が飛んできました。ここら辺で私は一度諦めました。

 

決定打、母に首を絞められる

中学校に上がるとマンション住まいから一軒家に変わりJWの地域も変わりました。父が会社を辞めてDTP事務所を構えて家に戻ってきました。といっても引き継ぎなどがあり最初の一年程は単身赴任のままでしたが以前より父が家にいる時間はとても多く、やっと家に味方が出来たことが嬉しかったです。

そんな中です、ある日曜日の朝、集会に行く前に雑誌の読み合わせをしている最中に私はもう行きたくない。小学校の時のように嫌がらせをされたり当然のことができない環境をまた作るのが嫌だと叫びました。

しかし母が認めるわけもなく、平手だなんだと飛んできました。私も力がついてきて自分の身は守れましたが、人生で初めて私は走馬灯を見ました。

「ハルマゲドンで死んで我が子が復活しないならまだエホバの証人である今私の手で殺してやる!!!今死んだら楽園で会えるやろ!!」

の叫び声をあげながら私の首を絞めてきました。

「あ、死ぬ」

と息は苦しいし目の前には凄い形相の母がいるしで混乱した私は

「いつもいつも暴力ばかり振るわれて嫌に決まってんだろうが!!」

叫んで突き飛ばしました。母は唖然とした顔をしてすぐに時計を見てから家を飛び出して行きました。この期に及んで集会に行ったのです。

二、三時間後に母が帰ってきたら私は確実に死ぬと思い、友人に電話して家に避難させてもらいました。皮肉にも寺の子だったので文字通り駆け込み寺をさせていただきました。

行く前に電話をして事情を話してから行きました。友人のお父さんと話をしました。さすがお坊さん、親身に話を聞いてくれて、泣く私を辛かったねと一言だけ言ってくれたのが救いでした。母から受けた仕打ちをきっとJWの人は

「サタンが貴方の心に取り付こうとしたからお母さんは愛の鞭を振るったのよ」

「あなたはお母さんに救われたの。ちょっとやり方が間違っただけ、許してあげなさい」

と言って母を擁護したことでしょう。でも友人のお父さんはただ辛かったねと言ってくれました。それがどれだけ嬉しい言葉だったかわかりません。父の連絡先を教えると、父に連絡をしてくれました。その日は一日友人の家に泊まり、家へと帰りました。

帰る前に父と友人のお父さんと少し話をしてました。宗教は難しい問題であること、強制すべきではないこと、それに命を奪うような真似はおかしいことを言っていたと聞きました。当然のことです。父も分かっていました。でもこれを母は分からなかったのです。

家に帰り、久しぶりに家族会議が開かれました。父はもうこんなことをするほどのものかと母は我が子を守ったのだと主張し続けて私はもう嫌だと言い続け、激昂した母が手を出そうとしたら父が止めるという感じの家族会議です。

最終着地点として「集会には行かなくていい、ただし週に一回、幼馴染であるJWの姉妹が来て研究をするそれだけでいい、それでもダメなら辞めていい」という折半案で落ち着きました。

 

週一の研究も一月で限界

火曜日の集会の日に集会のために準備をしなくていいという初めての経験をした時はドキドキとソワソワが同時に襲って来ました。

本当に行かなくていいのか、母の顔色を見てドキドキしながらテレビを見ていました。背中には母からの何か言いたげなきつい視線が突き刺さっていましたが、乱暴にドアを閉めて出て行きました。初めて火曜日の夜にテレビが見れました。自由にテレビが見れたのがどれだけ嬉しかったか。金曜日には初めてMステを見れたのです。やっと開放感を感じることができました。そして約束の週一の研究と最初は多少話を聞いていましたが、一月経った後わざわざ来てくれていた姉妹に私は切り出しました

「もう私にとってJWは苦痛でしかないから辞めたい」

すると姉妹はわんわんと大泣きし始め

「貴方は恵まれてる!好きなアニメが見れて漫画だって先に読める!私はドラえもんすら禁止にされて育った!なのに!!」

知らんがなそんなもん。なら貴方も辞めたら良いやん。としか思えず泣き止むのを待ちました。

そして最後にありがとうともう私は戻らないと言ってその日が最後となりました。

 

 

これで私のJWは終わりましたが、母との話はまだまだ続く。

前述した母の境界例人格障害がこの時期に発覚した家庭は完全に崩壊しました。