私と今

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

JWでした、JW内にいる子供への脅し

二、三回ほどJW当時に受けた体罰の話はいくらかしているとおもいますが

もうちょっと子供に対する影響の話を細かくしてみたいと思います。

 

JWの教義

まず、JWの協議の根っこ部分として

JWの信者はいつかくるハルマゲドンというなんかすっげえ天変地異で人類滅亡しても主神であるエホバが信者達を守ってくれて楽園に連れていき永遠の若さと命をくれて、なおかつ今までに死んでしまった親兄弟(信者限定)や友達(信者限定)も復活してみんなで楽しく暮らせます。

というもんです。

JWが敷いたレールから外れたら、脱会したら永遠の命はないし復活もできないし死んだら最後、親兄弟も友達とも二度と会えない。覚悟しろよ。ついでに今JWに入ってない人も復活できないから、一緒に居たい人には広めろよ。

っていう脅し付きです。

これが根っこにあるというのはとても子供への強い恐怖という下敷きになります。

 

子供というのは学校と家そこしか居場所がありません。

大人なら自分に合わないコミュニティからは逃げたりできますが、子供はそうとはいきません。まず大人と子供の差に大きなところがお金と生活力です。これって当たり前のことです。お金がないとご飯が食べられません。お風呂も入れない服だって着れられない。生きることができません。

学校から逃げたって生活する事に影響はありませんが、家、家庭というものはそうはいかない。まさに生きること生存することと直結しています。親というのは子供の生命線そのものです。

もしも連日のように報道されているような虐待の家庭とかならきっと児童相談所が動いてくれるでしょう。でもJWは違います。外から見る分にはとても子供は大人しく、親も優しく子供をよく見て良い子になる躾をして、綺麗な服を着せてニコニコしていて、虐待とは無縁のような家庭に見えるのです。そこがネックです。さらに虐待の目印となると言われているネグレクトの兆しや体罰による傷や痣が見えないのもなかなか厄介。

JWの児童虐待は体ももちろんですが根っこにある教義と教えが精神虐待に近しいというところが問題であり、周りからの介入が難しいというのが問題です。

 

家庭の孤立

まず、前述した教義ですが、これって大人からすると馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うことができますが、子供にはこれが十分な脅しになります。まず、子供の生活環境は学校と家、というのは前述しました。ここにJWという組織が加わります。一般家庭の子供からすると、コミュニティが一つ増えてるじゃないと見えますがこのJWが厄介。

JWの教えの中には「世の人と関わるな」というものがあります。この世の人というのはJW以外の人と社会のことちなみに家族であってもJWでない家族も世の人扱いとなります。世の人は甘言によって教えを否定し、JWを協議から躓かせる悪魔サタンからの誘惑であると教えられます。なのでJWにずっぷりな人程、必要な人としか交流を持ちません。というか、周りの人に勧誘話を持ち掛けて周りから疎遠にされるというところが多いと思います。

なので、家庭から世間というものを切り離し家族を家庭の中に押し込んでしまい、大人ですら外との関わりがJWだけとなりどんどん狭い価値観となります。

これが家庭と離れた世間だけの問題ではなく、前述した家族も含まれます。

例えば妻がJWで夫が未信者なら妻は夫をなんとかJWに引き込もうとします。しかし夫は怪しげな宗教を信仰しはじめた妻を元に戻そうとして妻との確執が生まれ、溝ができる。ここで夫の取る行動は

1.離婚

2.家庭内別居状態

3.無関心

のどれかになると思います。子供がいる家庭ならおそらく3を選択する配偶者が多くなるのではないでしょうか。私の父は3を選択しました。たまに集会に一緒に来たりもしていましたが、単身赴任というのもあり常時家のことをみることができず自然と家庭から離れてしまいました。

家に帰ってもJWの集会だ奉仕だで子供は連れまわされて父子の時間を持たされず、自分も集会や奉仕に連れていかれそうになる。仕事から帰ったら家は宗教どっぷり。休めることなんてなかったと言っていました。さらに大人になって祖母と話した時、母がJWに傾倒し叔母達までも巻き込みかなり揉めたそうです。やはり、JWから切り離そうとされたことに怒り狂ったといった感じでどんどん孤立していき結果として完全に母一人子一人の家庭となりました。この世の人との関わりを絶つという教義のせいで家族の枠組みをさらに狭め価値観と世界観をどんどん狭めていき、誰も異常性を認めさせてくれる第三者がいなくなるのです。

 

精神的に子供を追い詰める

一世となったJWの親はJW=今の苦からの逃避、未来への希望(偽)という価値観になり、JWの教えが正しいものでこんなに良いものを子供にも教えなきゃ。将来我が子が死ぬなんてダメ、一緒に生きなきゃいけないという子供への愛情がどんどん歪みJWの押し付けとなってきます。

この押し付けの中で親が子供にJWの教えを教え込むときに恐らくJWの大半の人が言われていると思うのが「楽園に行けなくてお母さんと会えなくなったら嫌でしょ?」です。これって、子供からするとJWから逃げ出すとお母さんやお父さんに二度と会えなくなる、あなたは独りぼっちなのと言われているのと同じことです。挙句の果てにハルマゲドンは明日来るかもしれないしなんなら十秒後くるかもしれないという脅し付き。

そんな脅し文句ときっと世の人は笑ってしまうと思いますが、前述した教義の教えを懇切丁寧にわかりやすく子供に刷り込むと

「もしも明日ハルマゲドンが来たら自分だけ死んじゃうの?お母さんと会えないの?」

と子供に死の恐怖と孤独という感情が刷り込まれます。

恐らく一般家庭の人が死というものと対峙するのはペットの死や親戚の死にあった時初めて意識する事かと思います。ですがJWの子供は生まれて教義に触れ言葉を知り文字が読めるようになってくると同時に死の概念と対峙させられます。しかも親が消えてしまうかも自分を孤独にするかもという恐怖付きです。

ここで自分を一人にされるという恐怖で親=JWに逆らうという選択肢を奪います。

でも死って誰しもが迎えるものでそんなものを恐れるの?という疑問がでると思います。ここにダメ押しが一つ。

「排斥」というシステムがあります。

排斥というのはJWの教義を破り脱退した人を居ない人、死んだ人という扱いで街ですれ違っても無視をする。それどころか家族ですら話すことも挨拶することも何もかもを禁止しいない人として扱うというものです。

まあ、ようするに虐めのハブるというのを家族含めてJWのコミュニティ全体で行うというものです。辞めたいのに辞められないという人があえてこの排斥システムを使うこともありますが、これ、子供にしたらどうでしょうか?

教義を破る行動をしたら

・仲良くしてくれていたお友達から無視される

・お母さんと話せない

・お父さんに無視される

・明日からご飯が用意される保証がない

・着るものの準備(購入や洗濯)をしてもらえる保証がない

・自分の家に帰ることができる保証がない

・家に帰ったら一人になる

・もしも自分が排斥になった翌日にハルマゲドンがきたら?

こんな不安を容易に子供に抱かせます。 死への恐怖と排斥の恐怖で精神的に子供を不安にさせ、親と子をべったりにさせる精神的虐待に加えてここに体罰という物理的な教えを入れ込みます。

 

鞭という名の体罰

厄介なのがJWの教えの中に家族の構築方法や子供への躾の方法といったなんか宗教のくせに家庭事情に首突っ込むなというところがあります。

この子供への躾の方法はおそらく私達30代の世代の二世と今の二世の子とはかなり変わっていると思います。なぜかというと、教義が変わっただろうから。おかしいと思うでしょ。JWころっころ教義変わりますから。私たちの世代は鞭によって子供を訓練し躾をしろという教義がありました。

この鞭での躾というのは前ブログでも記載しましたが、子供自ら下着やズボンを脱ぎ、四つん這いになったり親の膝の上に横たわり生尻を差し出してその生尻をひっぱたくというものです。

きっとこれだけなら「おしりぺんぺんぐらいそんなのどこの家庭にもあったよ」と笑い飛ばす人はいると思います。今と違い私達の時代は体罰というものがまだ残っていた時代だったので、文字だけではこれぐらいと笑い飛ばせるかもでしたが

私の家庭ではゴムホースやガスホース、ハンガーや革ベルト、家電製品の電気コードや素手で大人の力で数十発と叩き続けるというものでした。これも地域や家庭で異なる部分は多いと思いますが、叩かれる数が違うだけで似たようなものだったというJW二世は多いと思います。家庭によっては叫び声をあげては駄目だという家庭もあったようです。私はがんがん叫んでました。泣きながらごめんなさいの大絶叫です。

ここで子供の心と体をへし折り心でも体でも大人には敵わないと刷り込みます。

なぜこうする必要があるかというと恐らく子供を大人の社会=JW内で扱いやすいようにする目的があったのではと思います。

ちなみに父は私が体罰にあっていることは知っていました。

というより、子供への多少の体罰は必要だという世代でもあったので体罰が行われること自体には反対していませんでしたが

父が思っていた鞭=服の上からお尻を二、三回強めに叩く

私が受けていた鞭=生尻を自ら出して物を使って大人の力で数十発多いときは百発叩く

認識の乖離が顕著でした。ちなみにこの数十発というのは最初は10発スタートで駄々をこねたりして観念して自ら生尻を出して叩いてくださいとなるまでに10秒10発増えるシステムなので基本数十発叩かれてました。

何故ここまで乖離していたのかというと、父がいる日に鞭は行われなかったり、母がわざといつもと同じような鞭をしなかったからということでしょう。というかレアキャラの父がいることで悪さをしなかったというのもあると思います。

 

子供への鞭は親の称賛

JWには集会というものがあり約2時間教義に沿ったなんか有難いんだが有難くないんだかよく分からない話を延々と聞かされます。この集会中に子供が声を上げたら迷惑ですよね。だから叩いて大人しくさせる。さらに奉仕というものがあり、見知らぬ家庭に突撃ピンポンして教義を教えに行くというのもありその時に子供が騒いでいたらみっともない。なのでぐずったり我がままを言ったら叩いて大人しくさせるという図式ができます。

その証拠にJWの子供はとても大人しいです。泣いて騒いでというようなことはめったに無いと思います。ほんの二歳三歳、それよりも下回る様な子でも大人がダラダラ二時間以上喋る集会でお腹が空いたり飽きたりで泣いたり足をぶらつかせるだけで、親が子供を小脇に抱えてダッシュでトイレに行き鞭タイム。人によっては鞭入れのポーチを持ち歩き、外でも鞭ができるように構えている人がいました。

ちなみに我が家では複数回トイレに行くのも鞭

車で集会会場に行ってましたが嘘ついて解説中に寝たら鞭

つかもうお話し中に寝たら鞭

壇上からみっともなく見える行動をとったらすべて鞭

そんな調子でした。そらそんな中で育てば体罰を食らうことを学習したら大人に都合のいい子供に成長します。おそらく今、2世の人たちが苦しんでいる原因の一つだと思います。死と孤独という脅しで心を縛り付け、鞭という過度な体罰で自尊心と自立心を傷つけ大人がコントロールしやすい子供に成長させるのです。

大人はこの手がかからない大人しい子供というのありがたいもので、大人しく従順で大人の言うことをしっかりと聞くことができる子供を周りのJWの大人たちは

「よく訓練されて良い子ね。お母さんの訓練が行き届いているのね」

ととにかく親を誉めます。それどころか体罰に躊躇する大人へは

「ちゃんと鞭で訓練しなきゃいけないわ!神の僕としてちゃんとした大人にしなきゃ」

と叱咤激励が飛びます。叩いて叩いて大人しい子供になればなるほど親は褒められるのです。そして大人が喜ぶ返答ができる子供になればなるほど子供は褒められ親は鼻高々とい図式です。

今大人になって思いますが訓練って犬かなにかかと。この訓練と鞭という言葉だけで子供の人権がなくなってるってこと表してるなと思います。

 

称賛と止められない体罰

体罰って止められないのかと思うのですが今大人になって体罰を行い大人しい子供に躾ができれば称賛される。そんな環境で人は止めることができるでしょうか?

JWの空間にいると体罰を行うことへのハードルがぐーんと下がります。叩けば叩くほど褒められ称賛される。目に見えて子供は大人しくなり教えの通りだと思い込みどんどん叩く。こんなループが親子の中に出来上がっていきます。

教義の中で鞭をするのは良いけど子供を苛立たせないようにしようねというのがありますが、親からすれば私は大丈夫、我が子も納得済みだと思い込みさらに手を上げます。

子供はどこにも逃げられないから叩かれながらもニコニコして「エホバ大好き!JW大好き!自分も楽園にいく!お母さんと一緒だね!」と言い続けます。

だから親も子供が納得済みで自分と一緒にJWのレールを歩いていると思い込みます。実態としては子供の生命線を人質として手の中に握っていることを気づかずにです。

これって、本当に子供にとって健全な環境でしょうか。

 

成長と脱会

JWの子供は大人しく従順です。でもどこか二枚舌なところがあります。それはなぜかというと、大人しくしていないと叩かれる。でも家庭とJWの外学校では普通の家を装う為に他愛ない嘘を言ってみたり、学校であったことをそのまま親に言うのではなく親が望むような形で報告します。そうすると自然と二枚舌に育っていきます。

そしてそんな生活の中でふと気づくのです。おかしいのは自分だと。

幼少期はJWだけの世界でも、学校に上がると学校という世界が広がり、自分の周りがじつはおかしいことに気づき、どんどん自分に二面性を作り上げていきます。

学校の自分と家の自分。学校では普通に見せて家ではJWに見せる。

こんなのは嫌だ苦しいと思っても小学校や中学校の時に子供は親元を離れられるでしょうか?ハルマゲドンがいつまでたっても来ないし予言なんて嘘っぱちだと気づいても、親戚との繋がりは親によって絶たれ、周りはJWの大人だけ。待っているのは排斥システム。明日の食事すら保証されない環境は続きます。ここで未信者の親族が助けの手を出してあげられたら変わるかもしれません。でも、そうできる大人はいるでしょうか。

見た目は大人しく虐待されているようにも見えない、ただ単に変な宗教にかぶれているだけで生存することや教育といった目に見える面に問題はない。そんな中で、この二世を助けられますか?

私は中学校の時に母が激昂し首を絞めるという行為を取ったため友人の家に駆けこむことができました。でもそれができる家庭は少ないと思います。ある種運がよかったと思います。

そしてそこから成長し高校に抜けたという人も多くなってきます。

これは高校になるとアルバイトとして自分の食い扶持を確保することがギリギリできるようになり、中学校よりかは排斥をされた後の生活になんとか打開策を自らうつことができるという理由からでしょう。

大人になってから抜けたという人は自分の生活基盤を作ることができるようになる年齢だからという、排斥システムの脅しが効かなくなってくるからです。

 

抜けてからの後遺症

こうしてよいしょと一歩動いて抜け出せた人はとてもエネルギーを消費た結果です。抜けた後、しばらくはとてもしんどい思いをします。簡単なイメージとしては徹夜仕事明けの心身ともにぐったりした感覚がずっと抜けないという感じでしょうか。

不安や恐怖をかなぐり捨て、これからの生活を自分で築かなきゃいけない。なのに子供の時からの精神的虐待によって自立心や自尊心を大いに傷つけられ、親とべったりだった精神面の弱さに直面します。そしてJWというのは良くも悪くも目に見えた悪意というものが少なく、社会に出た時明確な自分に向けられる悪意という物の対処を自分の心でしなければいけないという現実に直面します。

JWの頃は悩みがあればエホバに祈れば良いのばかり言われ続け、解決するというより放置するという選択肢ばかりです。そんな中、自分の手で何とかしなければという場面に直面しあたふたすると思います。

こういうのって子供の頃からちょっとずつちょっとずつ身につけることでしょうがJWにはそんな機会を全て奪われてしまい、0からのスタートとなります。

JW二世に鬱や精神病患者が多いと言われるのは幼少期からの体罰と死や孤立といった精神的虐待が起因となり、JW内と社会とのギャップに苦しむというのが理由と考えます。

抜けたらそれで終わりでしょ?ではなく抜けてから、いかに自分を確立するかというところに無駄な力を割きます。それは何年かかるか、どうなるかは人それぞれでしょうが、私は自分で自分を大切にする愛するということがすっぽり抜けています。

JWの終末論の中で育ち、いわゆるリセット癖のような思考となり死に関するハードルがとても低いです。死ぬということに恐怖はあります。自ら自殺を選ぶほどの度胸はありません。でも明日にでも心臓麻痺でも起こしてすっと死なないかなとずっと小さな頃から思い続けています。

さらに自分で自分を好きになり大切に思えないので18になってすぐはっきりいって売春行為をしていました。素人AVとかやってみました、風俗店もお試しで行ってみたり性に奔放になりました。それはなぜかというと男性に好きにされている間は自分の存在を自分で認めることができたからです。避妊だけはしっかりとしていたので妊娠騒動は起こしませんでしたが、そのツケでも回ってきたのか、それとも二次成長期に家庭が不安定だったせいで自分の精神面も不安定だったのが原因なのかホルモンバランスが不安定な体になりました。

一度祖母に耐え切れず相談したときに「自分の体を切り売りするな」と叱られわんわん泣いたのを覚えています。

 

 

 

嫌なら逃げればいいと言う人はたくさんいます。

でも、たった一桁の年齢の子、十代に入ってすぐの子が生まれてすぐや生まれた時からずっと刷り込まれた恐怖に打ち勝って家を出るという選択肢をすぐに出せるでしょうか?

死と自分の生活、孤立を武器にJWは子供を脅し続けます。

こんな環境をJWはずっと子供に強いてきます。

こんな環境が子供に良い環境だと言えるのか。

もし今、JWの方で子供を巻き込もうとしている方

JWの訪問に心が傾きそうな方

今一度、宗教と子供の環境を考え直してほしいと私は思います。

そして宗教による子供の縛り付けも虐待の一つだと、世に認めてほしいと願います。

体罰などではない形ない虐待があるともっと世間に知られてほしいなと思います。