私と今

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

不妊治療してました-3:卵管造影検査

前回はタイミング法について書いてみました。私がタイミング法をしていたのは約1年ぐらい。そっからすぐにぱぱっとステップアップするんですが、その前にいろいろと検査を行いました。そのうちの一つの卵管造影検査について書いてみようと思います。

 

 

卵管造影検査とは?

名前の通り、卵管部分の検査。卵管に詰まりや癒着が無いかを液体を流してレントゲンを撮り確認しようという検査です。私のように子宮内膜症を持っていたりすると、卵管部分が血液で癒着し、受精のために上ってくる精子が卵管を通れなかったり、排卵に影響があったりする場合があります。なので卵管のつまりが無いかどうか確認するということです。

 

 

卵管造影検査のメリット

卵管造影検査にはメリットがあります。卵管に詰まりがあるか無いかを確認できるっていうのは検査の目的ですが、卵管が詰まっていようが詰まってなかろうが、流し込まれる造影剤によって卵管の中が掃除され、通りがよくなります。精子が上りやすく、卵が通りやすくなるので、卵管造影検査を行った半年間はゴールデンタイムと呼んでいます。妊娠しやすなります。なので、検査目的も合わせて不妊治療を行うとこの検査をする方が多いと思います。

 

 

卵管造影検査のデメリット

わざわざメリットを書くということはデメリットがあります。そのデメリットが何かというと【痛み】です。総合病院とクリニック、両方で卵管造影検査を受けましたが、使う薬剤の違いなのか同じ検査なのに全然痛みが違いました。はっきり言って総合病院で受けた時はビビりも相まって絶叫続きでしたが、クリニックの時は無痛でした。

 

 

卵管造影検査の体験-痛いやつ

総合病院で受けた卵管造影検査はレントゲンの箇所が子宮回りというかんじで、レントゲンを撮る部屋に通され、下半身の下着を脱いだ状態でガウンを着てベッドに横たわります。そして、足を開脚し待機。産婦人科の担当医は男性だったのですが、この時は女医さんが担当してくれました。

子宮にバルーンを入れて子宮内部を広げられます。正直ここは痛くないです。

「なんか違和感あんな。余裕余裕」

とか思ってました。

 

思ってました。

 

この後薬剤を入れられるのですが本番はここから。

粘度のある薬剤がゆっくりと中に押し込まれていくのですがこれが絶叫するレベルで痛い。本気で痛い。我慢したって痛い。途中で医師が本気で「そんなに痛いなら止める?」と飽きれた感じで言われました。こんな途中で諦めたら痛みに耐えたのが無駄になると続けてもらいましたが、とにかく痛い。生理痛っぽい痛みとかそんなんじゃなく、無理に内臓を押し込められているそんな痛み。付き添いで来てくれていた旦那曰く、病院の廊下までかなり叫び声が響いていたようです。

「もう終わるから」

と医師が言った直後、レントゲン映像を見ながら

「あ、片方ちゃんと映ってない失敗してる」の一言

 

人生で初めてお医者さんに殺意を抱いた瞬間でした。

 

はい、絶叫おかわり。終わった後はもうぐったり。

「ゴールデンタイムと言えども二度と受けるもんか…」

そう、心に誓った検査でした。

検査結果は良好。卵管の癒着もなく、ちゃんと通っており、問題はありませんでした。そして、タイミング法をちょっと続行しました。

 

 

 

卵管造影検査-痛くないやつ

話が少し前後しますが、タイミング法の次に人工授精の段階にステップアップした時、クリニックでも卵管造影検査を行いました。こちらでは造影剤ではなく、生理食塩水で通りを検査方法でした。クリニックの看護師さんから受けた説明では

「ここの卵管造影検査は痛くないですよ」

と言われましたがそんな言葉と看護師さんの笑顔すらも信じられないレベルの痛みを受けた後の体験なので、半信半疑でしたが、とりあえず受けることにしました。

クリニックでは医療用のガウンを着たりすることはなく、当日ロングスカートを着てくるように指示されました。

毎度の内診台でバルーンを子宮内に入れられ、検査室まで自力で移動します。この時、下着を履いてない状態なのでスカートで下半身を隠すわけです。体内にバルーンが入ってるのでめちゃくちゃ違和感を感じつつガニ股で移動して診察台に。

そして一番恐怖の時間。薬剤注入タイム。

「じゃあ、始めますよー」

の声とともに腹の中に薬剤を注入されていくのですが

 

あれ、痛くない。

 

不思議でしたが、全然痛くないんです。同じ検査なのに痛みが無い不思議。

さっぱりと痛みを感じることなく終わりました。

検査結果を待つ間に看護師さんに違いを聞きました。あの絶叫した痛みとの違いは何か。ずばり、造影剤の粘度の差でした。

 

 

粘度の差が痛みの差

改めて調べてみると造影剤にもドロリとしたものとサラッとした造影剤、二種類あるそうです。私が受けた二回目の検査では生理食塩水でした。この造影剤が流し込まれる時に痛みを感じるようですが、この流し込まれる造影剤がサラサラしていればいるほど痛みが無いということです。この二回目にうけた生理食塩水による検査なら、もう一回受けても良いかなと思いました。検査方法はクリニックによって差があり、体験談も激痛とそこまでと二種類あり、検査の仕方でここまで雲泥の差があるのかと驚きました。

 

 

 

クリニックや検査内容によっては検査なのに大絶叫する検査です。

治療ではないのに痛みを伴う検査です。

検査段階でも女性の体には負担がかかります。

ぜひ、卵管造影検査を行った日は体を労わって美味しいものでも食べてほしいです。

不妊治療してました-2:タイミング法

不妊治療って女性に対する負担がすごく大きいです。身体的な面もそうですが、精神面もとてもきつい。今月もダメ、いやでも、来月なら…のを延々と繰り返します。さらに仕事をしている方だと仕事と治療とのバランスの負担。妊活にストレスは大敵と言われても、それ自体がストレスになる人が多々多々いらっしゃいます。
私の場合は職場の理解もあり、主人も気楽に、私自身意識を逸らすことができる趣味があったので、4年続けることができました。
ちまちまとその流れを書いていこうと思います。

 

 

下準備1.治療前にまず検査

不妊治療を始める前に男女ともにまず検査を受けろ

男性が精液検査を嫌がって明確な理由も分からず責任を全て女性に押し付けて無駄な時間と治療費が重なり、説得してやっと検査させたら男性側に原因がありましたという話をよく聞きます。女性の検査は検査段階から恥ずかしい体勢で行い、膣に医療器具を入れて行います。タイミング法の説明で使われる診察台などを記述します。

男性の精液検査は二種類あり

  1. 病院から渡されるカップ精子を入れて病院に持って行く
  2. 病院にAVやエロ本が置いてある小部屋があり、そこでカップに精液を入れる

という、射精する場所と時間が違うだけで射精するだけで完了という正直なところ【射精するだけなんだからやれ】というのが私の意見です。

男性も女性も一度、自身の検査を受けてから特別な問題が無いのであれば、タイミング法から気軽に行うのがスタートです。タイミング法で結果がでれば金銭的にも時間的にも体の負担的にも全然楽なので、ここで結果を出すためにも

不妊治療を始める前に男性もちゃんと不妊検査を受ける」

がとても大切になります。不妊治療は女性だけの問題じゃありません。男性の精子の状態もとっても重要。だから不妊治療を始める前にちゃんと検査を受けましょう。

 

 

下準備2.職場への理解を

結論から言うとタイミング法でも職場へ話を通しておくことをお勧めします

不妊治療はタイミング法→人工授精→体外受精→顕微授精の順でステップアップをしながら治療が行われます。人によっては最初から体外受精からでないとという方もいると思いますが、特別な理由がない限りこの流れで行われます。

一番最初に行われるタイミング法は性行為の日を指示されてその日に性行為を行うだけなので仕事を休む必要はありません。ありませんが、数日の間通院が必要となる場合があり通院開始日も指定されるため、診察時間に合わせて遅刻や早退を繰り返すことがあります。

不妊治療は月経サイクルに合わせて進められるため、基本は「生理が始まって3~5日の間に受診」で診察日を指定されます。女性ならお気づきと思いますが【生理の出血ピークは避けてはいるが出血途中で診察】を受けます。なぜこんな月経の途中でというと、排卵までの確実な日時の算出もありますが【確実に生理であり妊娠による出血ではない】という確認の為です。初期妊娠時に着床出血などで少量の出血をすることもあります。その確認の為に生理期間中に診察する必要があります。出血してるのにと思っても我慢するしかないです。

 この指定された【生理が始まって3~5日の間】が上手く土日の診察日に当たればラッキーですが、平日にかち合うなんて余裕であります。私の場合はバイト雇用でのフルタイム契約だったのと、バイト契約のわりに技術が必要で社内唯一人材のポジションだったことと、職場の上司が子宮内膜症が原因で倒れた女性を見たことがあることに加え不妊治療に理解がある方だったので、ここら辺はとてもフレキシブルに対応してもらえました。

タイミング法を行う段階から遅刻や早退は繰り返しています。なので早い内から職場に不妊治療と言わずとも通院が発生することを話しておくことがお勧めです。最近のクリニックでは夜遅めでも診察を行っていて、退勤後にも行けるクリニックもあるようで、診察時間も確認してクリニックを選ぶのもありでしょうね。

 

 

最初はタイミング法&フーナーテスト

先天的に体外受精や顕微授精からという方もいますが、どちらにも目立った異常もなく、それでもなかなかできないという夫婦ははじめはタイミング法から入ると思います。このタイミング法の流れは以下の通りです。

 

タイミング法とは

女性の月経サイクルに合わせて治療は行われます。月経の後、排卵日が来ます。排卵された卵の寿命はなんとわずか6~24時間!それに対して精子は2~3日。なので排卵日に性行為ができるかどうかが分かれ目。しかし、排卵したかしてないかって女性自身に自覚はできません。なので、医師に今日そろそろ排卵しそうかどうかを見てもらい
「今日か明日排卵しそうだから頑張ってね」
と性行為をするタイミングを調べてもらいます。
ちなみに、医師の診断が無くても排卵チェッカーというのもドラッグストアで気楽に購入することができます。見た目は妊娠検査薬と同じようなもので、使い方も検査薬と同じです。

 

検査薬があるなら医師はいらない?

検査薬があるんなら医師に診てもらう必要なくない?と思うかもしれません。確かにそうですwですが、この排卵っていうのがまた気まぐれなもので、大体、月経周期が28日の方は月経開始日から約二週間後に来ます。この【約】二週間後の【約】が曲者で二週間後のいつ来るのかが明確にわかりません。自分で日数を数えて「大体排卵期に入ったから検査薬を使おう」と自分で目星をつけて検査薬を使います。
分かる人はすぐわかると思うのですが
【自分で目星をつけるから排卵が終わった後に検査薬を使っている可能性がある】
というのが検査薬を使って自分でタイミングを取るという、正直なところ博打です。でも、お金はかからないのでこれで出来たら万々歳。というのが検査薬を使ったタイミング法です。

 

 

医師に頼ったタイミング法

では医師にお願いしたタイミング法はどんなんか、というとズバリ
【経膣エコーを使って卵巣の状況を確認する】
というやり方です。中から状況を見たら排卵のタイミングがわかるよね!ということです。なんともわかりやすい。いろんな治療法の中では一番身体的にも金銭的にも負担が少なく正直この段階で成功すると万々歳です。というのも保険の範囲内でやってもらるので、ほんとこの段階で成功できればうれしいところ…私は無理でした。

 

 

タイミング法の流れ

排卵期間に入ると黄体ホルモン値というのが変わります。この黄体ホルモンが上がって排卵するかどうかの確認のため血液検査を受けます。クリニックによってですがその場で結果がでますが30分ほど時間がかかるので時間の余裕を持って通院になります。血液検査の後、エコー検査を受けます。婦人科でエコー検査というと、腹部にジェルを塗って機械で見る絵面を想像しますが経膣エコーを使います。
経膣エコーはどういうもんかというと、女性なら婦人科検診とかであの内診台に座ったことがある人が多いと思いますが、今一度内診台はどんなもんか、というと

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内診台

 はいこれ。この内診台の絵を描いたいらすとやさんは一体何者なのでしょう。すごい。男性はいまいちピンとこないと思いますのでどういう動きをするか完結に言うと
【強制M字開脚椅子】
うん、わかりやすい。
足側に医師が座るので医師とご対面を避けるために腰あたりにカーテンで仕切られてます。医師の足元にスイッチがあり「ハイ動きますよー」の合図と共に椅子が上がり、体が倒されます。寝るよりもちょっと上体が上がった体制で止まり、足が強制的に開かれます。医師の目の前には強制的に全開にされた股どーんということになります。実際にイメージできないという方は【婦人科 内診台】とかで画像検索したら使っている場面のイメージ写真がいっぱい出てきますのでそちらで確認してください。
内診台にあがり足を開いた後、膣にクスコを入れられ膣を一旦広げられます。痛みはありませんが金属が突っ込まれ開かれるという異物感はぬぐえません。はっきり言って「痛かないが気持ち悪い」です。さらに身体の防衛反応というやつでしょうか、身体の力を上手く抜けないと、膣が閉まりクスコを外に出そうとします。その結果もうちょっと広げられてさらなる異物の不快感。
広げられた膣の中につぎに入れられるのが超音波検査のエコー機械。

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経膣エコー

画像検索からちょっと描いてみましたがこんなん入れます。太さは親指一本ほどの太さです。こいつも痛みはありません。異物感はあります。これを膣の中に入れられて左右に動かされて卵巣の状態を確認されます。このエコー機械と内診台とは長い付き合いになるので恥ずかしかったり違和感もありますが慣れます。私のように子宮内膜症があると、このエコー機械で押されることで、痛みを感じることがあります。右は大丈夫でも患部の左卵巣を見る度に痛みがありました。性交痛よりは全然大丈夫ですが、ビビりと痛がりが相まって医師からは「痛がりだなあ」と笑われましたが、痛いもんは痛いんだよと思いながら足開いてました。というか、自分の目の見えないところで自分の体内に医療器具を入れられるというのはやはり恐怖があります。想像できない方、ぜひパートナーに目隠しをされた状態で性的興奮がない状態の素面の状態で肛門にでも指一なり指程の太さのおもちゃでも入れてもらってください。
このエコー機械で卵巣の状態を確認して

排卵まではまだ時間がかかりそう」
「もう少しで排卵するかな」
排卵しそうだけどまだかな…」
「今日排卵しそう!」

と経過を確認していきます。お気づきかと思いますが

【一回の診察で排卵日は確定できない】

ので、排卵期間に入ると、連日排卵状態を確認するために通院する必要があります。運よく「お、今日!」という時もあります。これでも下手したら「あ…もしかして、排卵終わってる…」なんて時もあったりします。なので、タイミング法の段階から仕事との兼ね合いを取る必要が出てきます。
ちなみに、図にも書いてますがエコー機械の上に医療用コンドームかな、ゴムをかぶせて使うので【ゴムアレルギーの方は必ず申告】しましょう。結果的に大丈夫でしたが、ゴム手袋のラテックスで被れやすいのですが、ゴムを使うなんて思ってもなかったので申告せずにいて、何かの折りに「ゴム手袋で荒れたりするんですよね」と看護師さんに話した時に「超音波機械を使うときにゴム使ってるけど大丈夫なの?!」と焦らせてしまい、私も「ゴム使ってるんや!」と初めて知りました。

 

排卵日後のフーナーテスト

排卵日を医師に特定してもらいその日の夜なり翌朝なりで即性行為を行い、妊娠を待ちます。初回だったり、何度かタイミング法を取った後になかなか妊娠しない場合にはフーナーテスト(ヒューナーテスト)と呼ばれるテストをします。検索していると行わないクリニックもあるようなので、ここら辺はご確認ください。
フーナーテストとは、性行為を行って12時間以内に行う検査です。なので性行為を指定された日の翌日に通院を指示されます。毎度の内診台に上がり、膣内から精液の混ざった頚管粘液を採取されます。これも痛みはありません。ちょいと取って終わり。そのあと採取した粘液を顕微鏡で確認し生き残っている精子の数や様子を確認します。これで精子の状態や女性側の膣の状態などを確認するという検査です。正直やる意味あんのかなあとか思いながら受けましたが、生物の実験みたいな感じで私は面白いと感じました。
普通なら顕微鏡で見た時に精子がうようよと見えるものなんですが、私の場合は私の頸管粘液が強かったのでしょうか精子が一匹しか見えず、医師大爆笑。
「一匹?!一匹とか初めてみた!!」となんか、初めてみた医療サンプルという感じで爆笑してました。まあ、最初から精子の状態が悪いというのを分かってから通院したのでそんなもんかと私も「ほへーこんなもんなんや」と顕微鏡をのぞいて、医師から通常の状態も聞いてから見たら確かにこれは爆笑されるわと逆に面白くなったんで、ある意味フーナーテスト受けてよかったです。

 

 

確実に排卵する為に薬を処方されることも

大まかな流れは排卵期に排卵のタイミングを人の目で見て確認するというものなんですが、年齢や先天的にホルモンバランスが悪くて黄体ホルモンの数値が上がらなかったりで排卵数が少ないや排卵しないというトラブルもあります。私も先天的にホルモンバランスがあまりよくなくて排卵している月やしにくい月などばらつきがありました。そういう時にも医療の力を借りました。

排卵誘発剤が処方されます。排卵誘発剤はいろいろな種類があり、その種類によって効能に差があります。おそらく最初のこのタイミング法で処方されるのはクロミッドという飲み薬だと思います。普通の白い飲み薬で毎日飲み続けて確実に卵を作り排卵をさせようというものです。効き自体はとても緩やかで人によってですが、効かないという時もありますし効くときもあります。薬の効き目も合わせてエコー検査で確認をします。

人にもよると思いますが、クロミッドでの副作用はなかったです。まだまだ体への負担は全然ありませんし薬自体も保険の範囲内で処方してもらえるので薬代も全然安心な治療法です。

 

 

 

デメリットとして性行為が作業に感じてしまう

フーナーテストがあるか無いかがありますが、タイミング法の大まかな流れはこんな感じです。簡単に言えば性行為日を医師によって指定されるっていうもんで、正直なところ性行為が作業的な感覚になってきて、性行為自体が嫌になってくるというのが正直なところ本音です。ここに男性が「仕事なのに」「疲れてるのに」という態度を出したらどうなるか容易に想像がつくと思います。私の旦那も最初は「今日は疲れてるから明日でよくない?」とか言ってましたが【卵は排卵したその日にしか機能しない】という事実をちゃんと受け止めてください。その月にかけた医療費も時間も無駄になります。こういう態度は夫婦間の足並みや心がそろわず夫婦になって子供が欲しいのに治療が原因で喧嘩をする原因になります。はっきりと言って、不妊治療を始めようと決意したその時から女性には仕事的にも身体的にも精神的にも負担がかかり始めます。だからこそ、男性側は女性の精神的な負担を増やすようなことはせず、寄り添ってください。自分本位な考えは捨ててください。子供を作るってある種作業です。でも作業と感じないようにするのが不妊治療を気楽に続けるコツだと思います。

 

 

 

 

喧嘩をしながら子供を望むっていうのは私は本末転倒ではないかと考えます。なので、喧嘩と作業感を避けるためにもちゃんと夫婦でコミュニケーションを日ごろから取るようにするのはとっても重要です。男性が思っている以上に女性は思い詰めます。

「子供がいなくても大丈夫」

という安心感を女性に与え続けてください。時間が合うのなら毎日夕飯を二人で食べたり、たまには外食をして本音を話し合ったり、触れ合うことを続けたり。不妊治療は医師の指示に従うことも重要ですが日ごろからちゃんとコミュニケーションをとることが大前提です。子供を持つことを決意した日から二人の共同作業開始です。どちらの責任でもありません。

不妊治療してました-1

JWについての記事は書くことはしばらくないかなということで、不妊治療について書いてみようかなということで、カテゴリー作ってみました。

私の今年齢は32歳、不妊治療をするには正直若い年齢です。治療を始めたのは27歳の頃でした。自分でもまさか不妊治療を行うなんて思ってもいなかったです。さらに、自ら子供を望むなんて思ってもなかったです。なのでそこら辺の事を振り返ってみようかなという具合です。

不妊治療をしている方のブログを見ていると、色々と治療内容を英単語に直して書いていらっしゃる方が多いのですが、私は「なんかよく分からん」ので、英単語的な用語では書かないようにします。英字に直されても、読んでる側には伝わりにくいんですよね。特に始めてみようという人には。っていうことで、略称ではなるべく書かないように努めていきます。

 

 

始めたきっかけ

まず、不妊治療を始めたきっかけは生々しい話ですが、ある日の夜に性交痛に襲われたことからです。そんな変なことをしていたわけではありません。普通の、ごく普通の性行為をしている途中に子宮の奥から急に激痛が走り、そのままでは痛みが引かず鎮痛剤を飲んで中断しました。こんなこと初めてだったので、かなり混乱つつもとりあえず寝て「もしかして性病になってるんじゃないか?!」の不安が大きく、翌日速攻産婦人科に行きました。

正直、性行為をしてたらめちゃくちゃ痛いかったんですよ!とか恥ずかしくて言いにくかったですが、痔の診察されるよか恥ずかしくないわと開き直って診察。

(余談ですが、痔の診察、婦人科の診察より恥ずかしかったです)

医師の問診と女性なら大体皆さん経験している強制的に足開いて局部をぱっかーんされる診察台で診察をした結果「子宮内膜症」と診断されました。とりあえず性病でなかったことで一安心でした。

 

 

ちゃんと受けてた健康診断+婦人科検診

ここで、婦人科検診をちゃんと受けていなかったのかと医師にも聞かれましたが、年に一回、会社の健康診断と婦人科検診を受けていました。婦人科検診では乳がん検査と通常の検診両方を受ける形なので、毎年異常無しでした。今回の診察を受ける丁度一年前ぐらいにも健康診断を受けていたので、まさか自分に子宮内膜症が発症しているなんて思いもよらず驚きました。

子宮内膜症若い女性にもおこりやすい病気で、月経の血液が子宮外のところにたまったりして排出されず溜まってしまったりする病気で、私の場合は左卵巣に血が溜まってしまい、チョコレート嚢腫になっていました。

通常2cm程の卵巣が肥大化し、一回り程大きくなっていたようです。

子宮内膜症の症状として

・性交痛

・月経困難症

・月経不順

があるようです。

月経困難症は酷い生理痛などがあげられるのですが、私の場合は昔から重い月とそうでもない月とがランダムであり、とりあえずロキソニン飲んで寝てれば良いぐらいのもんだったので全然気づいてませんでした。月経不順に関しても、元から一週間二週間のズレはざらで、無排卵月経を突然起こしたりもともとのホルモンバランスの関係で不順気味だったのでここでもまったく気づきもしませんでした。そんなこんなで性交痛で初めて自覚症状を持ったという流れでした。

そこで医師に言われたのが、これ以上大きく育ちすぎると卵巣が自重に耐えられず垂れ下がり、切除したり入院するということになるから治療は早くしようということでした。月経の血液が養分になるので月経があればあるほどこの子宮内膜症は悪化します。なので、早くに手を打たないと救急車コースになります。そこで医師に上げられた治療法は三つありました。

  1. ピルを飲んで月経を止める
  2. 腹腔鏡手術を行い嚢腫を取り除く(効果は一時的)
  3. 妊娠をする

です。2の手術以外は月経を止めるという、患部に餌をやらずに治まるのを待つ方針です(あってるかな)

そこでピルはいつからいつまで飲むのかと聞きました。

「人それぞれで効く期間が違うから何年もかかるかもしれないし、数か月で済むかもしれないから分からない。それに副作用の出る出ないで薬の調節もしなきゃいけないから、明確な期間は出せない」

の返答でした。人それぞれというところと薬の種類についての説明をうけ、ここでふっと【妊娠できる年齢の期限】が頭をよぎりました。40代でも妊娠する方がいるのは知っていましたが、個人的な区切りとして35歳と自分の中で線引きをしていました。そこでいつ効くかわからない薬を飲み続けるよりは妊娠の手段をとった方が、一挙両得なのではないかという考えに至りました。病気の治療をしながらも子供を望むという方針です。医師に不妊治療についての質問もこの時にいろいろと聞きましたが、この時にこの医師に担当してもらったのが良かったと今でも思います。通常、避妊せずに性行為を2年以上続けているのに子供ができなければ不妊治療に踏み切ることも良いんじゃないかという言葉ともに

「貴方が一番体を使うけど、不妊治療をしたいと思うならまずは旦那さんの精子を調べてから考えるといいかもしれないですよ」

と言ってくれました。これは私一人で決められることではないので一度医師に保留という形でその日は月経困難症を軽くする漢方薬だけを貰って帰宅しました。そしてその日に旦那に病気のことと治療について話をしました。

 

 

旦那が思ったよりあっさり承諾

医師の言葉があったのが良かったのかもしれません。旦那はあっさりと不妊治療の第一歩を承諾してくれました。次の診察時に精液を入れるカップを貰って精液検査を受けました。結果としては、正直なところ良くなかったです。平均値を下回る数値が出ました。ですが、その日の体調やその場で採取したわけではないので誤差もあるけれども、不妊治療をメインで行っているクリニックに行くことを担当医に勧められました。通っていたところが総合病院だったので、知識はあるけれど密にしっかりとした診察をするのは難しいから専門的なところに行くのが一番良いということです。

そしてそれをそのまま旦那に伝えるとこれまたこっちもそのまま素通りあっさり承諾でした。むしろ旦那からクリニックを探してくれました。

そして場所を変え、専門クリニックへと移り、本格的に不妊治療を始めました。

 

 

子供きらいが不妊治療に踏み切った理由

 なぜそこまですんなり承諾したのかなと疑問だったのですが、旦那が街中で子供を見る目がどこか羨まし気な雰囲気もあり、私にもよくあの子が可愛いと話すことが増えている時期でした。ですが、私は昔から子供が苦手だと言っていました。

理由としては、子供と触れ合う機会もなく育ってきたこと、自身の虐待に近い宗教の押し付け環境で育ち自分は子供を育てる立場の人間ではないと自分を責めていることが理由で私は子供が苦手だと公言していました。

なので、旦那自身も強要はできないしかといって子供は欲しいという気持ちでいたようです。そんな時に私の病気と、不妊治療の話が出てきて、それに乗っかったという具合でした。

私の考えが変わった理由は自分でもよく分かってはいません。でも、タイムリミットを意識したこととピルをいつまでも飲み続けていつまでも月経を止めるよりもという考えが鮮明にできたこと、それにもう自分ひとりではないから旦那にも頼っていいんだという意識の変化から私も子供を持とうという考えに子供きらいからシフトしました。

旦那には将来私が旦那から切り捨てられないようにというリスクヘッジとは言っていますが、このまま自分の我がままで子供を持たないという選択肢は違うんじゃないかという考えもあり決断した次第です。

 

 

不妊治療は30歳後半からと思っていた

ぼんやりと、日々の中で子供ができてしまったらできてしまっただとは考えていたので、子供を持つか持たないかの葛藤は私の中で少なかったです。ですが、不妊治療という言葉が突然目の前にドンっと出てくるとは思っていませんでした。

なぜかというと、不妊治療を行うのは30後半の方が行うことだと思っていたからです。さらに高額な治療費と痛みというネガティブな言葉も多く、よもや自分に降りかかってくるとは思ってもいませんでした。もう少し自然で粘ってもと思いましたが、総合病院の担当医の「若ければ若いほど早くに成功する」という言葉を信じました。結果としては年はかかりましたが、時折休憩しながらでも4 、5年程で区切りをつけることができました。もしもこれが、ピルを飲んでの治療を選択したらと思うとピルが効く期間がいつになるか、さらにそのあと妊娠までの期間を考えると、正直なところゾッとします。年月もそうですが、金銭的にもずるずるといっていたかもしれません。

だから、まだ27という不妊治療をするには比較的若い年齢で治療を決断しました。

治療を始めてから「結婚後はしばらく遊んでから、仕事に集中してから子供を」という考えがいかに甘いかということを実感しました。時間が女性の体をリミットに迫らせることを自覚するのは子供が欲しいなら大切なことなんだとようやく自覚したときでした。

 

 

出だしは病気の発覚からでした。

こっから、正直きっつい治療の開始です。

クリニックに通いだしてからはまた次回書いていこうと思います。

JWでした、JWのリハビリ

母親とのやり取りから早一か月。時間が経つのは早いですね。びっくりです。

なんとなく、JWを抜けてからの生活を少し書いてみたいかなと思います。外から見ると私がどう見られているかはわかりませんが、元カルト宗教二世だとは思われてない、と、おもい、ます。ってか思いたいw

なんで回り道から今までを少しまとめてみました。

 

小学校時代=JW現役

ちょいちょいというかしつこく書いてますが、小学校時代は現役でした。普通に集会に連れていかれてものみの塔の雑誌に線引いて会場ではマイクを持って「エホバです!」って答えてました。一年生の頃は何の疑いもなく同級生や先生にエホバの証人について開けっぴろげに話してました。なんせそれが私の世界の普通でしたから。

二年生ぐらいから「あれ、私おかしい」と気が付いたのですが後の祭り。あの子は変な子というレッテルがべったり貼り付いて、おそらく教師からも少し要注意に入れられていたと思います。私の学校は二年ごとのクラス替えだったので三年生からはエホバの証人という言葉を封印してぼかしにぼかしました「お母さんがダメっていうから」とかそんな感じですが、まあ、同じクラスのままの子もいるのでそっからバレていくという具合で、6年間変な子というレッテルははがせずそのままでした。

 

中学校時代=JW脱走

中学校は全く違う地域に引っ越しをして誰も知り合いのいない環境になりました。そこでは一切宗教のかけらも見せず、校歌だってどうせ親見てないんだから歌えばいいじゃんという頭で歌ってました。そして母親と大喧嘩しJWを抜けてから。謎の解放感とどうすればいいのかという手探り状態となりました。

「宗教から抜けたんだから好きにすればいいじゃない」

と思うのですが、今まで宗教という物を支えにして掴まり立ちをしていたのにぱっと支えを無くして一人歩きをしろと言われてしまうと、次に掴まる物を自然と探してしまうのです。私の場合はインターネットに逃げてしまいました。

たまたま中学校で出来た友人がオタクでそこから私もオタクになり二次創作を知り、二次創作を公開するサイトを立ち上げました。結果的に考えるならこれがよかったかもしれませんが、インターネットの当時流行っていたチャットにどっぷりと依存。

気持ちがいいんですよ。誰も怒らないし手を上げないし、話を聞いてくれるし。

と、家庭がぐっちゃぐちゃだったのでいい具合に逃げ先になってしまいました。自分で作った二次創作にだって評価をくれて楽しくて。

何かを自分で作るっていうのが楽しくて仕方が無かったです。

この時初めて【自分が作ったもの自分のアクションに対して誰かが自分を認めてくれる】という恐らく小学校どころか幼少期で形成される自己評価という下地を作ることができたのだと思います。

JWはどれだけ頑張ったって

「エホバが助けてくれたのね!エホバが認めてくれるわ!」

と自分ではなくエホバに対して褒めちぎるのでその子自身を褒めて無い言葉ばかりを投げてくれます。

なのでインターネットの世界で初めて私というものを見つけて私という下地を作ることができました。

 

 

高校生時代=JWの反動

中学校から高校にあがり、JWを抜けたことと高校生という年齢になり親からは完全に親離れを促され始めました。冷静に考えて母子でJWという枠組みの中でべったり育ち関係性の歪んだ親子関係というのがわずか三年で解消されるわけもありません。さらに父は単身赴任に加えて母によって父子分断され私の心の育成状況なんて理解もしていない状態です。

高校生になり、逆に親が子に自由を与えた結果、不登校という形で反動がでました。

私の不登校は制服で家を出て鞄に忍ばせた私服を駅で着替えて街に遊びに行き、何食わぬ顔で家に帰ってバイトに行って遊びに行くという、一見学校に行ってる風に見えると不登校でした。

他記事にも書いてると思いますが、一種のパニック障害を引き起こしていたんではないかと、自己分析しています。学校の空間にいる状態で人の声を聴くとひどくイライラして泣きわめきそうになるという感じでした。

今思えば、親から無理矢理離れたことと不安定な家庭環境の中で周りからはもう高校生だからとわずかな甘えも許されない環境で、精神がひどく不安定になっていたのだと思います。

一度、学校をさぼってバイトに行っていたのがバレた時に、母から軟禁罰を下されて連絡も取ることもできず無断欠勤となり即バイトを首になったことがあります。

甘えていた部分もありますが自分の自分に対する処理ができずあっぷあっぷしていました。

 

 

専門学校時代=ほぼ売春、家はまだJW

18歳という枷がなくなり、売春行為に走りました。

誰でもいいから自分を認めてほしい必要とされたいというほんと馬鹿な発想からです。体を売るというのはとっても簡単です。

ネットでちょろっと年齢と地域を書き込めば男性がさくっと釣れます。さらに、私は胸が大きい方なので余計に釣りやすかったです。

性関係の時って、一対一でのやりとりなので自分が今必要とされているという感覚に陥ってしまい、しかもお金までもらえてずぶずぶと落ちていきます。これがまた、JWの鞭によって自己肯定感をガンガンに削られべきべきに折られた心理には相性がいいのです。

「かわいいね」「エロい」「気持ちがいい」

ほんと馬鹿なお世辞や欲望を自分にだけに向けられて必要とされる。

今までまともに誰からも【自分】を見てもらえず【自己】を認めてもらえず褒めてもらえない環境にいた私には実に染み入り気持ちがいいしお金ももらえるし、良いじゃないかと考えていました。

でもその代償として自己というものをがりがりと削っていきます。

自分の体を大切なものと思えなくなるのです。私はヘタレだったので、自傷行為はしませんでしたが、異性を拒みませんでした。性という形での自傷行為だったのだと思います。

素人AVの撮影だってしました。これは適当な男相手よりお金も貰えてもっと体を大切にしてくれるので良かったのですが後に残るという恐怖があったのでこちらは早々に切り上げました。

風俗店の体験にも行きました。こっちもお金はいっぱいもらえるのですが、男側にやさしさというのはなく「商品」とした扱いになり、しかもバイアグラを飲んでまで通う男性が馬鹿馬鹿しく見えて体験で終了です。

こんな中で、今の旦那と出会いました。

旦那も少し機能不全の家庭出身で性に対しても枷が若干外れていた人だったせいか、妙にうまが合い、今子供を持つまでに至っています。不思議なものですw

 

 

成人・結婚=家を出てJWとは完全縁切り

旦那が新卒として働くとき、どうせ引っ越しするならと東京に飛ばされて私も引っ付いて家を出ました。

引っ越す一週間前に「来週から東京に住むから」というだまし討ちで実家を飛び出しました。当然父や母からは落ち着いてからでいいのでは無いかと引き留められましたが、結果的に私は飛び出してよかったと思います。

実家を出てから、初めて親がいない自分の家を作っていく環境となりました。

最初に二年ぐらいは喧嘩だってありました。でも、母の爆発よりは全然マシだと生活を続け、やっと落ち着いた頃、友人から表情が丸くなったねと言われるようになりました。あんまり自分ではピンとは来なかったのですが、いつもどこか気を張っているように感じて怒りっぽいかったと言われました。

数年振りにあった友人からはよく笑うようになったと言われました。

そこからふっとそんなに変わったのか?と自分を振り返ってみる機会を増やしてみるとどうも本当にイラつく機会が減り何かを考える機会が増えたと実感しました。

あんな家にいたのだから仕方が無いと考えていたのですが、JW親という呪縛が取れたことが大きいのだと最近気が付いたところです。

 

 

JW親という呪縛

誰だって親というのはどこかで逆らえないと感じたり親だからという意識はあると思うのですが、JW親はモラハラ・宗教強要・鞭という名のDVで子供を支配します。親本人は全く無自覚で行ってるのがネックです。

ある程度自我のある頃に親がはまったという人は突然教育方針が切り替えられて困惑したという人もきっと多いでしょう。

普通の躾ではなく支配という形での躾を行った親は子供の心を縛り付けます。

そうなると「親に聞かないと」「親の判断を見ないと」となり【行動基準が親になる】という現象が起きてしまいます。普通に虐待児と同じ反応が見られるようになります。

一般的な虐待とは違い、明確に親からの愛情もしっかりと与えられることで、愛されることと傷つけられること、両方を知り愛情のほうにどんどんと依存していき抜け出せなくなる。長年そうした教育を行われると行動基準を自分に持つことができず、ずぶずぶと常に何かに依存しないと不安になるという心理状態になりやすく、依存している自分にさらに不安になる。そんな連鎖に陥ってしまう。

JW親の教育というのはこういった形で成り立っています。

なので、JW親というのは呪いであり呪縛です。

 

 

JW親の呪縛から抜け方

今思えばという結果と私にはあっていたというやり方ですが

・二次創作でもなんでも自分で何かを作り誰かから褒められるという経験を得た

・親にはできないことを身に着けた

・物理的に親から逃げ出した

・なるべく自分から親には連絡を取らないようにした

これが効果があったのだと思います。

前述した中学校の時にお遊びでやっていた二次創作、じつはこれが自己肯定感を養うための土台になっていました。これの何が良かったのかというと【自分が作った物に評価を下され、自分を褒めてもらえる】という承認欲求を満たすことができます。

この承認欲求が自己肯定感を作るための所謂ご飯になりました。

さらにこの二次創作物を公開するためのサイトを自分で作っていたのでHTML/CSSを身に着け、結果としてこれが仕事に繋がっています。

私の親はDTPデザイナーだったので、デザインの域は親にはかないませんが逆に親は私のコーディング技術は持っていないので【貴方ができないことを私はできる】という自信を持つことができるようになりました。

物理的に親から離れたことと連絡をなるべく自分からしないというのも、親に自分は自分でやってるという意思表示と、ストレス原との切り離しです。

JWの親は宗教を抜けば普通なので【親というのは子供が心配であるという心理だけ】は理解して、親からの連絡だけを受けるようにしました。元からさっぱりとした人達だったので頻繁な連絡はなかったのが幸いでした。逆になんの関わりのない祖母からの連絡が頻繁で、気が向いた時だけ電話をとってます。でも家を出た関係ってこれがちょうどいいんだと思います。

 

 

パートナーの理解

これが私の幸運だったというしかありません。

私の旦那は作った食事に対して必ず何かコメントをくれます。

美味しいとかこれは微妙とか。ほんの些細なことです。

あとはここを掃除したとかいうとそれをまた褒めてくれる。

それがあったので私も旦那が何かをしたら褒めるようになりました。

すると不思議なことに褒めるっていう行動は自分の心にも良い作用があるようで、徐々に精神が安定し、落ち着いていったみたいです。

JWの方がよく悩む「JWのことを言った方が良い?」という疑問。

私は言う必要はないと思ってたのですが、冷静に考えて冠婚葬祭などJWの常識が一般の非常識になりえることが多々ありすぎると思いなおし、軽くジャブレベルで話してみました。

最初はJWという言葉を使わず「実家がキリスト教かぶれだったから冠婚葬祭の常識が欠落しているかもしれない、その時は教えてほしい」といった感じです。

急にカルト宗教の名前を出すよりもぼかして伝えることで受け入れやすいかなと考えた結果です。それ程度で最初はいいのかなと思いました。

そしてその次、実生活にかかわってくることが出てきて初めて「実は…」と話してみました。

私の旦那は「ふーんそっか」で終わりましたが、ここで甘えて「JWだったんだから仕方が無いじゃん」とか思わずに「JWだったのは確かだけど彼が見ている私はJWのない私だから言い訳にはならない」と肝に銘じて「JWがあったにせよなかったにせよ私はこの性格なんだ」と自分を認めて自分を受け入れました。多分、この自分を受け入れられたのも二次創作などで自分を認めることができたからだと思います。

この次にどんなものでどう苦しんだから子供ができた時にこうはしたくないというのを映画などを見たときにちょこっとだけ触れてみたりして一気にわーっと出さないように頑張ってみました。

こうしてなんとか土台を作った、そんな感じです。

 

 

JWを抜けてから、いろんな回り道をしましたが、自分というものを作ることが一番のリハビリになったのかなと今は思います。

まだまだ、スタートラインに立ったのが遅く、未熟なところもありますが、まず自分を理解し受け入れ、自分を作るってなによりも大切なんじゃないかなと、最近実感しています。

 

母からの謝罪

ちょっと前にも、母がJWを抜けてからのことを書いた記事を書きました。

それから時間が過ぎ、今の変化を書いてみたいと思います。

多分、ここからはJWは関係なく、境界性パーソナリティー障害の母と離れてというのが正しい表記ですね。

 

JWを抜けた母

私が実家を文字通り飛び出して10年近くたちました。この頃はまだ母はJWに入っている状態だったので、引き留められる可能性などが怖く、引っ越す一週間前に来週東京に引っ越すからといった感じで文字通り飛び出すように引っ越しました。

そこから母とはちょくちょく電話やLINEをする中ではありました。しょっちゅう離婚したい、家から出たい、離婚して自分も東京に行きたい、お金は出すから一緒に住んでほしいといったことを冗談だったのかそんなことを言ってきていました。

私はほぼほぼ冗談だろうと無視して流していましたが、ついに両親が離婚し、母が不倫相手と千葉で暮らし始めたことを伝えられてから、あれは本気だったのかとぞっとしました。

両親の不仲というかすれ違いは昔からでしたし、離婚するのは秒読みでいつかするだろうと思っていたのでそこにショックはなかったです。ただ単に散々JWの教義を私に押し付けていたのに自分はほいほいと破って不活発からの排斥コースに走り、理由も「だって最近合わないんだもん」だったので、私の中で折り合いをつけていた幼少期の私が「ふざけんじゃねえよ!!!」と叫び声をあげました。

きっと母が今もJWを続けていたら、もはや仕方が無いことと認めたでしょう。もし辞めたとしても、教義が合わなくなったと理由であっても、JWでの教えを守り不倫などしていなければきっと普通に付き合えていました。

ですが、不倫という形でしかも相手の家庭を壊すトリガーとなりぶち壊している現状にJWを抜きにしても一人の社会人としてあり得ないと思います。

筋が通っていないことを母は鞭を使い体罰をもって教え説きましたがその張本人が全てをぶち壊しているのはさすがに、怒りを感じます。

 

 

謝ってほしいのは過去

母はなんとかして私と連絡を取ろうとしていますが、私はすべて拒否しています。せめて、私に対してJWに強制加入させ鞭を振るってきたことを謝罪してほしいと父伝いに伝えました。母は最初はそれを拒否していました。理由は私は間違ったことをしていないから。

ですが、連絡を絶ってから二年がたち、私も妊娠し、さすがに母もどこか焦りがでたようで、最近、父伝いに謝罪のLINEが入りました。謝罪するという言葉がすっぽぬけている母から珍しいものだとLINEを見ましたが、それは謝罪とは程遠いものでした。

本人は謝罪しているつもりなのはわかりましたが、大人としてこれを受け入れるのは逆に間違っていると思い、それすらも突っぱねました。

 

以下謝罪文-------------------------------------------------------------

私が言うのは何ですが
私も親が離婚をして
そのせいで、人生が狂ったと恨んだ事もあります。
貴方も、そうだと思いますが、勉強だとか、努力で自分の人生を変えるのは自分でしか無理だと言うのはご自身の経験で分かるかと思います。こちらに来て、仕事で色々な人と関わって、
◎◎言う様な事を言ってる同じくらいの年齢の人もいれば、精神的自立している人もいます。

コミュニティに作るのは自由ですが、他の子を巻き込んで、グチの言い合いをしてても何もうまれません。

自分も親になるのですから
もう少し、精神的自立をして欲しいと願います。

 

私は、子育てに自身が無く
でも、子育てだけはしっかりしなければと、悩み
クリスチャンになったわけですが、裏目に出たようです。

◎◎を苦しめる事になってしまいました

 

強いて言うなら
自分にも自身が無く
自尊心も無いので
そんな人間が結婚をし
子供を持つのが間違っていたのだと思います。

------------------------------------------------------------------以上謝罪文

 

これ、謝罪らしいです。

これで私は母を許すと思ったらしいです。

私が謝罪してほしいのは

・カルト宗教であるJW、エホバの証人に無理やり入れられ、子供らしい子供時代を送る権利を楽しみを取り上げられたこと。

・そしてそれを無為にするような行動を母が取ったこと。

この二点だけなのですが、私、そんんんんんんなに変なこと言ってますかね。

ちなみに両親の離婚に傷は一つもついてないので何言ってんだです。

どっちかというと、相手側のお子さんに対して心配しているレベルです。

私はそんなに自立できていないような甘えたこと言ってますかね。

逆方向にあきれて笑えてきて連絡遮断延長戦となりました。

ちなみに旦那にこれを見せたところあきれた感じで「相手のことを理解しようとしていない人だな」のコメントでした。数回しか会っていないのによくお分かりで。

 

 

母の常套手段

母は私がいかに幼いか、精神的に未熟であり子供であるかということを昔から常々説教してきました。なので私はとても精神的に押さなくて未熟な人間だとずっと思っていました。でも、そう言えば私が折れるから、母の下に常にいることに出来るからという理由だったんだと、今理解することができます。

JWでの教義と母からのモラルハラスメント両方で自己肯定を養うことができず成長してきましたが、母にはできないことを身に着けたことで、初めて自分をほめることができるようになりました。そこから、どんどん自分というものを見つけられるようになってきました。

なので、今回のこの謝罪してんだかしてないんだかという常套手段に怒るという対抗手段を取ることができるようになりました。

母はとにかく自分が悪いという場面であっても絶対に謝罪ができない人です。

それは私や父はまたかと飽きれて終わりますがそうではない外の人でしたらすんなりと離れていきますよね。それが理解できないらしいです。

とにかく周りが悪い私は悪くない。

不倫して自分が壊した家庭も元から崩れていて自分は悪くないと胸張って言ってます。

 

 

境界性パーソナリティー障害

母と離れてから、少しは寂しいという気持ちはあります。

やはり親ですし、憎くて憎くてたまらないわけではなく、普通に親として感謝をもしているし、愛情だってあります。でもそれを上回る恐怖などがあるわけです。

境界性パーソナリティー障害という人格障害は試し行為という行為があります。

とにかく相手を傷つけても自分は愛されているかという試し行為です。

パートナーであっても子であっても親であってもそういうことをします。

そして0か100かという両極端な考え方なので、ここがJWの白か黒かという考え方にぴったり合ってしまったのでしょう。しかも、パートナーや親と違い、JWの人達は否定したりしませんからそれは心地よかったと思います。

周りからは些細なことで「姉妹すごーい!」って褒めちぎられて承認欲求は満たされる。さらに子に対しての体罰は許容されますから、怒りを抑える必要はありません。さらに周りは否定したり怒ったりしてきません。こんなもん、境界性パーソナリティー障害の人には嬉しい環境ですよ。

でもJWから一歩でてしまえば、おかしいことや悪いことをしたら否定して叱られます。だから、逆切れを繰り返し試し行為を行います。自殺未遂騒動を起こしたり祖母の家に突撃したり、自分の気分だけで人を振り回し続け、自分が悪いとなると相手を攻め続け自分は悪くないと逆切れし続ける。そんな人との生活は家族の心をずたずたに疲弊させていきます。

私は小さいころは鞭という恐怖、成長してからは父と一緒に顕著になった母の人格障害からの連日に及ぶ暴言や暴力に振り回され、家族全員で導火線に火のついた爆弾を回しあいながら生活していました。

母は人の趣味を許容できず、自分が不愉快だから止めろという人だったので、すべて自室にしまい込み、リビングにちょっとでも置いておくと捨てられる。

父も昔は音楽が趣味でしたがそれもすべて規制され、趣味という趣味を全て封印されていたそうです。

父と話していて、母が一番精神年齢が低く、一番何かに依存しないと生きていけない人であり、謝罪文もほぼほぼ自己紹介だなというところに落ち着きました。

子育てに悩んだ挙句JWに入ったというのはこれは嘘だなという意見も一致しています。

とにかく自分がその時その時気持ちがいいものに依存がしたかったんだと思います。

境界性パーソナリティー障害は底なしのバケツに水を注ぎ入れ続けるようなものだと言います。

言いえて妙なものです。どれだけ周りが愛情を注いだって本人は満足しない上にもっともっともっとと要求し続けます。それに周りを疲弊させていく。

でも周りからはそうは見えず、明るい人当たりの良い人に見えていて、周りに相談したって、いいお母さんじゃないと理解してもらえません。これにJWを掛け合わせられたことで私の逃げ場はなくなりました。

いち早く、実家を出た私は今の旦那と生活をしてから生まれて初めて自由な生活を手に入れました。いつだれかがキレるかわからない環境に怯えながら人の顔色を伺いながら生活することがどれだけ辛いことだったのか思い知らされました。

そして父も離婚し、面白いことに私と同じことを言っています。きっと、この生活が普通なんでしょうね。

 

 

 

これからの母との関係

父と旦那と話し合い、おなかの中にいる子供から母方の祖母を私の感情一つで取り上げてしまうことになるが、まずは産んでから生活を落ち着かせることを優先しようということで話が落ち着きました。

母と復縁するデメリットが大きすぎて今のところ復縁する気が起きません。

考えられるだけで

・不倫相手ともしも別れたら近いからと家に来るのか

・不倫相手と別れなくても喧嘩をしただとかなんだとかで家にくるのか

・子供の前で私や旦那を笑いながら下げるような発言をしそう

・そもそも老後のことどうすんだ

・もう二度と爆弾を気にする生活をしたくない

やっと普通の生活を手に入れたのに、もう私は手放したくない。

出産時に母が見舞いにくると息巻いているようですが

出産日を伝えず、念のため病院には面会拒否をお願いすることにしています。

不倫をして家を出た時点で祖母という立場を自ら手放しているのだから当たり前だと私は考えています。

JWでした、JW内にいる子供への脅し

二、三回ほどJW当時に受けた体罰の話はいくらかしているとおもいますが

もうちょっと子供に対する影響の話を細かくしてみたいと思います。

 

JWの教義

まず、JWの協議の根っこ部分として

JWの信者はいつかくるハルマゲドンというなんかすっげえ天変地異で人類滅亡しても主神であるエホバが信者達を守ってくれて楽園に連れていき永遠の若さと命をくれて、なおかつ今までに死んでしまった親兄弟(信者限定)や友達(信者限定)も復活してみんなで楽しく暮らせます。

というもんです。

JWが敷いたレールから外れたら、脱会したら永遠の命はないし復活もできないし死んだら最後、親兄弟も友達とも二度と会えない。覚悟しろよ。ついでに今JWに入ってない人も復活できないから、一緒に居たい人には広めろよ。

っていう脅し付きです。

これが根っこにあるというのはとても子供への強い恐怖という下敷きになります。

 

子供というのは学校と家そこしか居場所がありません。

大人なら自分に合わないコミュニティからは逃げたりできますが、子供はそうとはいきません。まず大人と子供の差に大きなところがお金と生活力です。これって当たり前のことです。お金がないとご飯が食べられません。お風呂も入れない服だって着れられない。生きることができません。

学校から逃げたって生活する事に影響はありませんが、家、家庭というものはそうはいかない。まさに生きること生存することと直結しています。親というのは子供の生命線そのものです。

もしも連日のように報道されているような虐待の家庭とかならきっと児童相談所が動いてくれるでしょう。でもJWは違います。外から見る分にはとても子供は大人しく、親も優しく子供をよく見て良い子になる躾をして、綺麗な服を着せてニコニコしていて、虐待とは無縁のような家庭に見えるのです。そこがネックです。さらに虐待の目印となると言われているネグレクトの兆しや体罰による傷や痣が見えないのもなかなか厄介。

JWの児童虐待は体ももちろんですが根っこにある教義と教えが精神虐待に近しいというところが問題であり、周りからの介入が難しいというのが問題です。

 

家庭の孤立

まず、前述した教義ですが、これって大人からすると馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うことができますが、子供にはこれが十分な脅しになります。まず、子供の生活環境は学校と家、というのは前述しました。ここにJWという組織が加わります。一般家庭の子供からすると、コミュニティが一つ増えてるじゃないと見えますがこのJWが厄介。

JWの教えの中には「世の人と関わるな」というものがあります。この世の人というのはJW以外の人と社会のことちなみに家族であってもJWでない家族も世の人扱いとなります。世の人は甘言によって教えを否定し、JWを協議から躓かせる悪魔サタンからの誘惑であると教えられます。なのでJWにずっぷりな人程、必要な人としか交流を持ちません。というか、周りの人に勧誘話を持ち掛けて周りから疎遠にされるというところが多いと思います。

なので、家庭から世間というものを切り離し家族を家庭の中に押し込んでしまい、大人ですら外との関わりがJWだけとなりどんどん狭い価値観となります。

これが家庭と離れた世間だけの問題ではなく、前述した家族も含まれます。

例えば妻がJWで夫が未信者なら妻は夫をなんとかJWに引き込もうとします。しかし夫は怪しげな宗教を信仰しはじめた妻を元に戻そうとして妻との確執が生まれ、溝ができる。ここで夫の取る行動は

1.離婚

2.家庭内別居状態

3.無関心

のどれかになると思います。子供がいる家庭ならおそらく3を選択する配偶者が多くなるのではないでしょうか。私の父は3を選択しました。たまに集会に一緒に来たりもしていましたが、単身赴任というのもあり常時家のことをみることができず自然と家庭から離れてしまいました。

家に帰ってもJWの集会だ奉仕だで子供は連れまわされて父子の時間を持たされず、自分も集会や奉仕に連れていかれそうになる。仕事から帰ったら家は宗教どっぷり。休めることなんてなかったと言っていました。さらに大人になって祖母と話した時、母がJWに傾倒し叔母達までも巻き込みかなり揉めたそうです。やはり、JWから切り離そうとされたことに怒り狂ったといった感じでどんどん孤立していき結果として完全に母一人子一人の家庭となりました。この世の人との関わりを絶つという教義のせいで家族の枠組みをさらに狭め価値観と世界観をどんどん狭めていき、誰も異常性を認めさせてくれる第三者がいなくなるのです。

 

精神的に子供を追い詰める

一世となったJWの親はJW=今の苦からの逃避、未来への希望(偽)という価値観になり、JWの教えが正しいものでこんなに良いものを子供にも教えなきゃ。将来我が子が死ぬなんてダメ、一緒に生きなきゃいけないという子供への愛情がどんどん歪みJWの押し付けとなってきます。

この押し付けの中で親が子供にJWの教えを教え込むときに恐らくJWの大半の人が言われていると思うのが「楽園に行けなくてお母さんと会えなくなったら嫌でしょ?」です。これって、子供からするとJWから逃げ出すとお母さんやお父さんに二度と会えなくなる、あなたは独りぼっちなのと言われているのと同じことです。挙句の果てにハルマゲドンは明日来るかもしれないしなんなら十秒後くるかもしれないという脅し付き。

そんな脅し文句ときっと世の人は笑ってしまうと思いますが、前述した教義の教えを懇切丁寧にわかりやすく子供に刷り込むと

「もしも明日ハルマゲドンが来たら自分だけ死んじゃうの?お母さんと会えないの?」

と子供に死の恐怖と孤独という感情が刷り込まれます。

恐らく一般家庭の人が死というものと対峙するのはペットの死や親戚の死にあった時初めて意識する事かと思います。ですがJWの子供は生まれて教義に触れ言葉を知り文字が読めるようになってくると同時に死の概念と対峙させられます。しかも親が消えてしまうかも自分を孤独にするかもという恐怖付きです。

ここで自分を一人にされるという恐怖で親=JWに逆らうという選択肢を奪います。

でも死って誰しもが迎えるものでそんなものを恐れるの?という疑問がでると思います。ここにダメ押しが一つ。

「排斥」というシステムがあります。

排斥というのはJWの教義を破り脱退した人を居ない人、死んだ人という扱いで街ですれ違っても無視をする。それどころか家族ですら話すことも挨拶することも何もかもを禁止しいない人として扱うというものです。

まあ、ようするに虐めのハブるというのを家族含めてJWのコミュニティ全体で行うというものです。辞めたいのに辞められないという人があえてこの排斥システムを使うこともありますが、これ、子供にしたらどうでしょうか?

教義を破る行動をしたら

・仲良くしてくれていたお友達から無視される

・お母さんと話せない

・お父さんに無視される

・明日からご飯が用意される保証がない

・着るものの準備(購入や洗濯)をしてもらえる保証がない

・自分の家に帰ることができる保証がない

・家に帰ったら一人になる

・もしも自分が排斥になった翌日にハルマゲドンがきたら?

こんな不安を容易に子供に抱かせます。 死への恐怖と排斥の恐怖で精神的に子供を不安にさせ、親と子をべったりにさせる精神的虐待に加えてここに体罰という物理的な教えを入れ込みます。

 

鞭という名の体罰

厄介なのがJWの教えの中に家族の構築方法や子供への躾の方法といったなんか宗教のくせに家庭事情に首突っ込むなというところがあります。

この子供への躾の方法はおそらく私達30代の世代の二世と今の二世の子とはかなり変わっていると思います。なぜかというと、教義が変わっただろうから。おかしいと思うでしょ。JWころっころ教義変わりますから。私たちの世代は鞭によって子供を訓練し躾をしろという教義がありました。

この鞭での躾というのは前ブログでも記載しましたが、子供自ら下着やズボンを脱ぎ、四つん這いになったり親の膝の上に横たわり生尻を差し出してその生尻をひっぱたくというものです。

きっとこれだけなら「おしりぺんぺんぐらいそんなのどこの家庭にもあったよ」と笑い飛ばす人はいると思います。今と違い私達の時代は体罰というものがまだ残っていた時代だったので、文字だけではこれぐらいと笑い飛ばせるかもでしたが

私の家庭ではゴムホースやガスホース、ハンガーや革ベルト、家電製品の電気コードや素手で大人の力で数十発と叩き続けるというものでした。これも地域や家庭で異なる部分は多いと思いますが、叩かれる数が違うだけで似たようなものだったというJW二世は多いと思います。家庭によっては叫び声をあげては駄目だという家庭もあったようです。私はがんがん叫んでました。泣きながらごめんなさいの大絶叫です。

ここで子供の心と体をへし折り心でも体でも大人には敵わないと刷り込みます。

なぜこうする必要があるかというと恐らく子供を大人の社会=JW内で扱いやすいようにする目的があったのではと思います。

ちなみに父は私が体罰にあっていることは知っていました。

というより、子供への多少の体罰は必要だという世代でもあったので体罰が行われること自体には反対していませんでしたが

父が思っていた鞭=服の上からお尻を二、三回強めに叩く

私が受けていた鞭=生尻を自ら出して物を使って大人の力で数十発多いときは百発叩く

認識の乖離が顕著でした。ちなみにこの数十発というのは最初は10発スタートで駄々をこねたりして観念して自ら生尻を出して叩いてくださいとなるまでに10秒10発増えるシステムなので基本数十発叩かれてました。

何故ここまで乖離していたのかというと、父がいる日に鞭は行われなかったり、母がわざといつもと同じような鞭をしなかったからということでしょう。というかレアキャラの父がいることで悪さをしなかったというのもあると思います。

 

子供への鞭は親の称賛

JWには集会というものがあり約2時間教義に沿ったなんか有難いんだが有難くないんだかよく分からない話を延々と聞かされます。この集会中に子供が声を上げたら迷惑ですよね。だから叩いて大人しくさせる。さらに奉仕というものがあり、見知らぬ家庭に突撃ピンポンして教義を教えに行くというのもありその時に子供が騒いでいたらみっともない。なのでぐずったり我がままを言ったら叩いて大人しくさせるという図式ができます。

その証拠にJWの子供はとても大人しいです。泣いて騒いでというようなことはめったに無いと思います。ほんの二歳三歳、それよりも下回る様な子でも大人がダラダラ二時間以上喋る集会でお腹が空いたり飽きたりで泣いたり足をぶらつかせるだけで、親が子供を小脇に抱えてダッシュでトイレに行き鞭タイム。人によっては鞭入れのポーチを持ち歩き、外でも鞭ができるように構えている人がいました。

ちなみに我が家では複数回トイレに行くのも鞭

車で集会会場に行ってましたが嘘ついて解説中に寝たら鞭

つかもうお話し中に寝たら鞭

壇上からみっともなく見える行動をとったらすべて鞭

そんな調子でした。そらそんな中で育てば体罰を食らうことを学習したら大人に都合のいい子供に成長します。おそらく今、2世の人たちが苦しんでいる原因の一つだと思います。死と孤独という脅しで心を縛り付け、鞭という過度な体罰で自尊心と自立心を傷つけ大人がコントロールしやすい子供に成長させるのです。

大人はこの手がかからない大人しい子供というのありがたいもので、大人しく従順で大人の言うことをしっかりと聞くことができる子供を周りのJWの大人たちは

「よく訓練されて良い子ね。お母さんの訓練が行き届いているのね」

ととにかく親を誉めます。それどころか体罰に躊躇する大人へは

「ちゃんと鞭で訓練しなきゃいけないわ!神の僕としてちゃんとした大人にしなきゃ」

と叱咤激励が飛びます。叩いて叩いて大人しい子供になればなるほど親は褒められるのです。そして大人が喜ぶ返答ができる子供になればなるほど子供は褒められ親は鼻高々とい図式です。

今大人になって思いますが訓練って犬かなにかかと。この訓練と鞭という言葉だけで子供の人権がなくなってるってこと表してるなと思います。

 

称賛と止められない体罰

体罰って止められないのかと思うのですが今大人になって体罰を行い大人しい子供に躾ができれば称賛される。そんな環境で人は止めることができるでしょうか?

JWの空間にいると体罰を行うことへのハードルがぐーんと下がります。叩けば叩くほど褒められ称賛される。目に見えて子供は大人しくなり教えの通りだと思い込みどんどん叩く。こんなループが親子の中に出来上がっていきます。

教義の中で鞭をするのは良いけど子供を苛立たせないようにしようねというのがありますが、親からすれば私は大丈夫、我が子も納得済みだと思い込みさらに手を上げます。

子供はどこにも逃げられないから叩かれながらもニコニコして「エホバ大好き!JW大好き!自分も楽園にいく!お母さんと一緒だね!」と言い続けます。

だから親も子供が納得済みで自分と一緒にJWのレールを歩いていると思い込みます。実態としては子供の生命線を人質として手の中に握っていることを気づかずにです。

これって、本当に子供にとって健全な環境でしょうか。

 

成長と脱会

JWの子供は大人しく従順です。でもどこか二枚舌なところがあります。それはなぜかというと、大人しくしていないと叩かれる。でも家庭とJWの外学校では普通の家を装う為に他愛ない嘘を言ってみたり、学校であったことをそのまま親に言うのではなく親が望むような形で報告します。そうすると自然と二枚舌に育っていきます。

そしてそんな生活の中でふと気づくのです。おかしいのは自分だと。

幼少期はJWだけの世界でも、学校に上がると学校という世界が広がり、自分の周りがじつはおかしいことに気づき、どんどん自分に二面性を作り上げていきます。

学校の自分と家の自分。学校では普通に見せて家ではJWに見せる。

こんなのは嫌だ苦しいと思っても小学校や中学校の時に子供は親元を離れられるでしょうか?ハルマゲドンがいつまでたっても来ないし予言なんて嘘っぱちだと気づいても、親戚との繋がりは親によって絶たれ、周りはJWの大人だけ。待っているのは排斥システム。明日の食事すら保証されない環境は続きます。ここで未信者の親族が助けの手を出してあげられたら変わるかもしれません。でも、そうできる大人はいるでしょうか。

見た目は大人しく虐待されているようにも見えない、ただ単に変な宗教にかぶれているだけで生存することや教育といった目に見える面に問題はない。そんな中で、この二世を助けられますか?

私は中学校の時に母が激昂し首を絞めるという行為を取ったため友人の家に駆けこむことができました。でもそれができる家庭は少ないと思います。ある種運がよかったと思います。

そしてそこから成長し高校に抜けたという人も多くなってきます。

これは高校になるとアルバイトとして自分の食い扶持を確保することがギリギリできるようになり、中学校よりかは排斥をされた後の生活になんとか打開策を自らうつことができるという理由からでしょう。

大人になってから抜けたという人は自分の生活基盤を作ることができるようになる年齢だからという、排斥システムの脅しが効かなくなってくるからです。

 

抜けてからの後遺症

こうしてよいしょと一歩動いて抜け出せた人はとてもエネルギーを消費た結果です。抜けた後、しばらくはとてもしんどい思いをします。簡単なイメージとしては徹夜仕事明けの心身ともにぐったりした感覚がずっと抜けないという感じでしょうか。

不安や恐怖をかなぐり捨て、これからの生活を自分で築かなきゃいけない。なのに子供の時からの精神的虐待によって自立心や自尊心を大いに傷つけられ、親とべったりだった精神面の弱さに直面します。そしてJWというのは良くも悪くも目に見えた悪意というものが少なく、社会に出た時明確な自分に向けられる悪意という物の対処を自分の心でしなければいけないという現実に直面します。

JWの頃は悩みがあればエホバに祈れば良いのばかり言われ続け、解決するというより放置するという選択肢ばかりです。そんな中、自分の手で何とかしなければという場面に直面しあたふたすると思います。

こういうのって子供の頃からちょっとずつちょっとずつ身につけることでしょうがJWにはそんな機会を全て奪われてしまい、0からのスタートとなります。

JW二世に鬱や精神病患者が多いと言われるのは幼少期からの体罰と死や孤立といった精神的虐待が起因となり、JW内と社会とのギャップに苦しむというのが理由と考えます。

抜けたらそれで終わりでしょ?ではなく抜けてから、いかに自分を確立するかというところに無駄な力を割きます。それは何年かかるか、どうなるかは人それぞれでしょうが、私は自分で自分を大切にする愛するということがすっぽり抜けています。

JWの終末論の中で育ち、いわゆるリセット癖のような思考となり死に関するハードルがとても低いです。死ぬということに恐怖はあります。自ら自殺を選ぶほどの度胸はありません。でも明日にでも心臓麻痺でも起こしてすっと死なないかなとずっと小さな頃から思い続けています。

さらに自分で自分を好きになり大切に思えないので18になってすぐはっきりいって売春行為をしていました。素人AVとかやってみました、風俗店もお試しで行ってみたり性に奔放になりました。それはなぜかというと男性に好きにされている間は自分の存在を自分で認めることができたからです。避妊だけはしっかりとしていたので妊娠騒動は起こしませんでしたが、そのツケでも回ってきたのか、それとも二次成長期に家庭が不安定だったせいで自分の精神面も不安定だったのが原因なのかホルモンバランスが不安定な体になりました。

一度祖母に耐え切れず相談したときに「自分の体を切り売りするな」と叱られわんわん泣いたのを覚えています。

 

 

 

嫌なら逃げればいいと言う人はたくさんいます。

でも、たった一桁の年齢の子、十代に入ってすぐの子が生まれてすぐや生まれた時からずっと刷り込まれた恐怖に打ち勝って家を出るという選択肢をすぐに出せるでしょうか?

死と自分の生活、孤立を武器にJWは子供を脅し続けます。

こんな環境をJWはずっと子供に強いてきます。

こんな環境が子供に良い環境だと言えるのか。

もし今、JWの方で子供を巻き込もうとしている方

JWの訪問に心が傾きそうな方

今一度、宗教と子供の環境を考え直してほしいと私は思います。

そして宗教による子供の縛り付けも虐待の一つだと、世に認めてほしいと願います。

体罰などではない形ない虐待があるともっと世間に知られてほしいなと思います。

JWを抜けてから、母の変化

Twitterのほうに、自分をJWに入れた親が教義に反することを平然と行っていたら許せる?許せない?といったアンケートをやってみました。

 

 

こちらのツイートです。

というのも、母との付き合い方にどうすればいいのか戸惑っています。

なので、似たような環境下に居た人たちはどんな気持ちだろうと知りたくなった次第です。

前記事でも記述しましたが母が境界性人格障害から起因しているであろう暴言やJWの協議による体罰はどうしても私の中で大きなしこりとなって残っています。

そんな母ですが、これがもし今も粛々と母がJWを続けていたら多少は宗教観が親子といえども合わないのは仕方がないことだと私の中で一つ納得していたかもしれません。ですが、現実はそんな甘くはありませんでした。

 

おかしいなと思い始めた

私がJWを抜けてから母が鬱になったり人格障害が発覚したりと母自身、JWを続けていくことが身体的にも精神的にも難しくなり[お休み]という形をとっていました。そのことに関しては何も思っていません。誰だって風邪ひいたら休みますから。そんなもんだと思っていました。

しかし、母の鬱がよくなってきて外に出かけるようになりました。そろそろまたJWの集会に出かけたり伝道活動をするのかなと思っていたらところがどっこい、まったくいかなくなりました。母本人に行かなくなったなと言っても「私は今お休み中なの」としか返ってきませんでした。まあ、そんなもんかとその時も思っていました。

さらに鬱がよくなりどんどん遊びに行くようになりいろんな習い事を始めたりしてほぼ良くなってきたころです。このころ、私は家に帰らず当時の彼氏の家に入り浸っていました。

なのでたまに家には洗濯しに帰るぐらいなもので母との接触は少なくなってきていたのですが、Facebookのほうでは無理やり繋がられたので母の動きを知ることができました。

ある日のことです。母のFacebookに「大吉~!」とかいって神社の御神籤をもって笑っている母の写真が上がりました。いやもう、目を疑いましたね。

神社って鳥居くぐるのすら禁止してませんでしたっけ??????

ましてや御神籤て。

家に帰ってこれについて軽く聞きましたよ。

JWお休み中つってもバブテスマを受けた正式なJWがこんなのしたらあかんのちゃうんか?とすると母からの返答はまぁすごい屁理屈でした。

「神社仏閣といっても手を合わせたりしているわけじゃないし、神社仏閣の建物自体が歴史的建造物だからそうした歴史に触れに行っているだけだ」

では御神籤は?

「ただの紙切れを引いただけ」

怒らせたくなかったので「お、おう、そ、そっか」で流しましたが

そんでいいの???????????

 ここあたりから母はもうJWのことなんかどうでもよくなったんだと思います。普通に所謂世の人として過ごし始めました。どこにでも遊びに行くし、家族を置いて海外旅行なんて当たり前。聖書なんて一ページも捲ることはありませんでしたし。わざわざ買った母の勉強用机で日々の研究なんてやらずに机には埃がかぶっていました。

 

挙句の果てに不倫

正直、神社仏閣へ行って御神籤引いて満面の笑顔の写真撮影しているだけでも、私のJWで苦しんだ年月を否定されたような気がしてとにかく腹が立ちました。しかし、もういい加減にしろと言いたくなったのが母の不倫発覚です。

発覚した経緯というのが、鬱がひどかったころ、しょっちゅう家を飛び出してどこか山奥だなんだに行って自殺未遂をしようとしたり親戚相手に暴れまわろうとすることがあったので、父がこっそりと母の車にGPSを仕掛けており、その存在は父と私だけの秘密でした。

当時私が付き合っていた彼氏の家の場所を母に言っていました。琵琶湖の対岸にあるところで専門学校の先輩からの紹介で知り合ったんだよといった感じです。

そんなある日のこと、その彼氏と他友人と遊んでいるときに父から唐突に電話が入りました。

「お母さん浮気してる」

は?としか返せませんでしたがさらにびっくりなのが

「〇〇というラブホに今いる」

そのラブホ、彼氏の家から徒歩数分かからないレベルのところに建っていたんです。しかもその彼氏の家がある地域唯一のラブホ。ちなみにそのラブホに行く前にラブホ街があり、わざわざそんなところに行く意味がわからないレベルの場所です。その報告を受けた時はたまたま全然違う場所にいたので、遭遇するリスクから避けることができたのは不幸中の幸いだったと思います。しかし意味が分からず、携帯電話片手に固まる私を友人達が心配そうにしていたので

「お母さん浮気して〇〇ってところに居るらしい!笑えるー!!!」

ともうほぼ無理やり爆笑して大混乱。彼氏にすぐ家に帰してもらい父と私で家族会議が開催されました。父はもうあんなに今まで頑張ったのにとうなだれていました。

私もJWで幼少期をぶち壊され、さらに中高生時代は人格障害だなんだでめちゃくちゃに破壊され、数えきれないほどの暴言を浴びた結果が不倫。もう母としてどうかと思いました。

母自身はもう「子供が独り立ちをして私はもう私の人生、第二の人生を歩むの」という頭でしかなく、家族という枠組みなんて理解していないようでした。

母の中では「子供は大事、でも夫は私の足を引っ張り私のお金を搾取する邪魔者」という認識です。ちなみに母の言う私のお金というのは、共働き夫婦でしたので母自身が稼いだお金はもちろんでしたが、父が稼いだお金も全て私のお金認識でした。

なので父が単身赴任当時に月三万円だけ渡して後は家計と私のお金にしてしまっていたため、父が生活に困窮し消費者金融に手を出した時はもう大荒れでした。

「借金までするお金にルーズであり得ない男だ!!!」と騒ぎまくっていました。

このことを大人になってから父から聞いたのですが、どちらかといえば母のほうがモラハラと経済DVをしていたんじゃないかと私は思います。

そして自営業になり、経費や必要なものの買い足しで消えていくお金をみてさらに発狂というかんじですかね。

なので母の中で父というのは敵の中の敵だったわけで、いつでも切り捨てる。邪魔者。の扱いでした。

母が入院したり、自殺を止めたり、救急車を呼んだり、反抗期で荒れる子供の相手をしたりしている父は母の中では邪魔どころか「自殺をするという私の権利を阻害した悪者」の認識です。

なので、堂々と出会い系アプリで関東の禿と接触し、いそいそと不倫をしたということです。完全にJWであること、JWであったことなど捨て去っていました。

しかも母は自分の不倫が子供である私に知られているなんて隠す気なんてさらさらなかったようです。まず洗濯物がおかしかったです。

当時50手前の母の下着が紐パンって、どういうことだよと。

さらに挙句の果てに避妊の方法についてまで聞いてきました。

この時は私が不意に妊娠しないようにという牽制かなと思ってましたがそうではありませんでした。さも同級生との恋バナのように「コンドームを使ってるの?それともピル?」といったことを聞いてきました。いくら親であったとしてもそんなところまで聞かれたくなくてうやむやにして聞かなかったことにしました。

父は不倫相手と家の中間場所名古屋まで出向き、不倫相手と接触禁止の誓約書を交わしこれで終わりにしていました。とても父が疲れ切った顔をしており、もう母の考えがわからなくなりました。

 

 

余談、帰省したときにばったり家にきたJWに忘れ去られる私

私も結婚し、関西から関東へ移住してもう10年近くなります。

たまに、帰省をしていたのですが最近は時間が取れずなかなか帰れていません。

このたまの帰省の間にJWが実家に訪問してきたことがありました。勧誘ではなく、一応お休み中という母にわざわざ雑誌を届けに来てくれていたのです。お優しいことで。しかしこのとき笑いそうになりました。だってあんなに隣人にやさしくとかなんだとかほざいていたJWの方、かなり昔といえども私と顔を合わせ話したこともあったのに私の存在を忘れていたんですよ。顔を覚えていないどころか「この姉妹には一人娘がいる」ということ自体きれいさっぱりなかったことになっていました。

なので私が玄関に出た時に

「あ、あれ?ここは〇〇さんのお宅…ですよね?」

「えぇ、そうです。娘です」

「娘さんがいらっしゃったんですね、初めまして」

「いえ、お会いしたことありますよ。最後は中学校の時だったのでお忘れかと思いますが」

と嫌味ついてしまいました。気まずそうにそそくさと帰って行った後ろ姿に少しだけすっとしてしまった私は性格が悪いです。ま、人間、会わない人なんて覚えてないでしょうが、存在そのものすら忘れられてんですから笑いますよね。

 

 

 

最近の母との関係

母とはもう一年半ほど前から連絡を絶っています。というのも、その一年半ほど前に私の両親は離婚をしました。正直言ってまあ、離婚は秒読みだろうしいつ離婚してもおかしくないし、双方がまた再婚したって私は気にしません。

ですが、その離婚の方法について私は母にもう限界と思いました。

お気づきの方はいらっしゃると思いますが

「不倫相手といまだに10年近く続いていて、その不倫相手と今暮らしている。しかも私が住んでいる場所から一時間半ほど離れた場所に住んでいる」

いや、再婚するのは良いんですよ。

でも、先に離婚をしてから不倫相手とやりとりするのが筋ってもんだろと。挙句の果てにその不倫相手、既婚男性です。まだ未成年のお子さんがいらっしゃいます。しかも、今現在、その男、自分の妻と離婚をせず母と暮らしているのです。

関係者全員が大人として恥ずかしいと私は思います。

そんな不誠実なことをする母に私はどうすれば感情の折り合いがつけられるかわかりません。

母は私に対しては「親なのだから自由に会って遊んで悩みだって相談してくれば良い、逆に何故あの子が怒っているのかわからない。私は悪いことなんて何もしていない。」と素で思っています。

きっと、JWのことがなければどこか時間薬で折り合いがつけられたかもしれません。でも、この母の今までの行動はJW漬けにされた子供時代の私を首を絞められて苦しかった私を泣き叫んだ私をすべて否定されたような気がして、私は初めて母のLINEをブロックし電話番号を着信拒否にしました。

今、ブロックしているLINEを解除したが最後、怒涛のような暴言罵詈雑言と泣き言や上から目線説教がくるのだろうなと思い、今はパンドラの箱としてしまいました。

父は父自身と母は紙切れ一枚で繋がっていた他人でも私と母は親子なのだからどこかで落としどころをつけて振り上げたこぶしを下ろしてほしいと願い、時間を合わせて旧家族会議を開催しようとしていましたが、私が不妊治療が実りおなかの中に子供ができました。なので今はストレスをわざと与えないでほしいと頼み先延ばしにしています。

でも、私は母にこの子供を会わせたいとどうしても思えません。きっと会わせたらなにかしらの援助はしてくれると思います。でも、それは私が受けるのは間違っている気がします。

まずは彼女と不倫相手の男に求めるのは相手のご家族、なによりもお子さんにたいして土下座してこいです。そしてその子のすべてをしっかりと支えろです。私の母は顔も名前も知らないそんな子の幸せとこれからを奪ったのですから。それをしてから私と向き合ってほしい。私はもう、母の玩具ではないですから。

 

にしても、この母の暴走で困っていることがありまして。

里帰り出産が難しくなってしまったことです。予告しておいたんですけどね。