私と今とたまに母

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

JWでした、JWのリハビリ

母親とのやり取りから早一か月。時間が経つのは早いですね。びっくりです。

なんとなく、JWを抜けてからの生活を少し書いてみたいかなと思います。外から見ると私がどう見られているかはわかりませんが、元カルト宗教二世だとは思われてない、と、おもい、ます。ってか思いたいw

なんで回り道から今までを少しまとめてみました。

 

小学校時代=JW現役

ちょいちょいというかしつこく書いてますが、小学校時代は現役でした。普通に集会に連れていかれてものみの塔の雑誌に線引いて会場ではマイクを持って「エホバです!」って答えてました。一年生の頃は何の疑いもなく同級生や先生にエホバの証人について開けっぴろげに話してました。なんせそれが私の世界の普通でしたから。

二年生ぐらいから「あれ、私おかしい」と気が付いたのですが後の祭り。あの子は変な子というレッテルがべったり貼り付いて、おそらく教師からも少し要注意に入れられていたと思います。私の学校は二年ごとのクラス替えだったので三年生からはエホバの証人という言葉を封印してぼかしにぼかしました「お母さんがダメっていうから」とかそんな感じですが、まあ、同じクラスのままの子もいるのでそっからバレていくという具合で、6年間変な子というレッテルははがせずそのままでした。

 

中学校時代=JW脱走

中学校は全く違う地域に引っ越しをして誰も知り合いのいない環境になりました。そこでは一切宗教のかけらも見せず、校歌だってどうせ親見てないんだから歌えばいいじゃんという頭で歌ってました。そして母親と大喧嘩しJWを抜けてから。謎の解放感とどうすればいいのかという手探り状態となりました。

「宗教から抜けたんだから好きにすればいいじゃない」

と思うのですが、今まで宗教という物を支えにして掴まり立ちをしていたのにぱっと支えを無くして一人歩きをしろと言われてしまうと、次に掴まる物を自然と探してしまうのです。私の場合はインターネットに逃げてしまいました。

たまたま中学校で出来た友人がオタクでそこから私もオタクになり二次創作を知り、二次創作を公開するサイトを立ち上げました。結果的に考えるならこれがよかったかもしれませんが、インターネットの当時流行っていたチャットにどっぷりと依存。

気持ちがいいんですよ。誰も怒らないし手を上げないし、話を聞いてくれるし。

と、家庭がぐっちゃぐちゃだったのでいい具合に逃げ先になってしまいました。自分で作った二次創作にだって評価をくれて楽しくて。

何かを自分で作るっていうのが楽しくて仕方が無かったです。

この時初めて【自分が作ったもの自分のアクションに対して誰かが自分を認めてくれる】という恐らく小学校どころか幼少期で形成される自己評価という下地を作ることができたのだと思います。

JWはどれだけ頑張ったって

「エホバが助けてくれたのね!エホバが認めてくれるわ!」

と自分ではなくエホバに対して褒めちぎるのでその子自身を褒めて無い言葉ばかりを投げてくれます。

なのでインターネットの世界で初めて私というものを見つけて私という下地を作ることができました。

 

 

高校生時代=JWの反動

中学校から高校にあがり、JWを抜けたことと高校生という年齢になり親からは完全に親離れを促され始めました。冷静に考えて母子でJWという枠組みの中でべったり育ち関係性の歪んだ親子関係というのがわずか三年で解消されるわけもありません。さらに父は単身赴任に加えて母によって父子分断され私の心の育成状況なんて理解もしていない状態です。

高校生になり、逆に親が子に自由を与えた結果、不登校という形で反動がでました。

私の不登校は制服で家を出て鞄に忍ばせた私服を駅で着替えて街に遊びに行き、何食わぬ顔で家に帰ってバイトに行って遊びに行くという、一見学校に行ってる風に見えると不登校でした。

他記事にも書いてると思いますが、一種のパニック障害を引き起こしていたんではないかと、自己分析しています。学校の空間にいる状態で人の声を聴くとひどくイライラして泣きわめきそうになるという感じでした。

今思えば、親から無理矢理離れたことと不安定な家庭環境の中で周りからはもう高校生だからとわずかな甘えも許されない環境で、精神がひどく不安定になっていたのだと思います。

一度、学校をさぼってバイトに行っていたのがバレた時に、母から軟禁罰を下されて連絡も取ることもできず無断欠勤となり即バイトを首になったことがあります。

甘えていた部分もありますが自分の自分に対する処理ができずあっぷあっぷしていました。

 

 

専門学校時代=ほぼ売春、家はまだJW

18歳という枷がなくなり、売春行為に走りました。

誰でもいいから自分を認めてほしい必要とされたいというほんと馬鹿な発想からです。体を売るというのはとっても簡単です。

ネットでちょろっと年齢と地域を書き込めば男性がさくっと釣れます。さらに、私は胸が大きい方なので余計に釣りやすかったです。

性関係の時って、一対一でのやりとりなので自分が今必要とされているという感覚に陥ってしまい、しかもお金までもらえてずぶずぶと落ちていきます。これがまた、JWの鞭によって自己肯定感をガンガンに削られべきべきに折られた心理には相性がいいのです。

「かわいいね」「エロい」「気持ちがいい」

ほんと馬鹿なお世辞や欲望を自分にだけに向けられて必要とされる。

今までまともに誰からも【自分】を見てもらえず【自己】を認めてもらえず褒めてもらえない環境にいた私には実に染み入り気持ちがいいしお金ももらえるし、良いじゃないかと考えていました。

でもその代償として自己というものをがりがりと削っていきます。

自分の体を大切なものと思えなくなるのです。私はヘタレだったので、自傷行為はしませんでしたが、異性を拒みませんでした。性という形での自傷行為だったのだと思います。

素人AVの撮影だってしました。これは適当な男相手よりお金も貰えてもっと体を大切にしてくれるので良かったのですが後に残るという恐怖があったのでこちらは早々に切り上げました。

風俗店の体験にも行きました。こっちもお金はいっぱいもらえるのですが、男側にやさしさというのはなく「商品」とした扱いになり、しかもバイアグラを飲んでまで通う男性が馬鹿馬鹿しく見えて体験で終了です。

こんな中で、今の旦那と出会いました。

旦那も少し機能不全の家庭出身で性に対しても枷が若干外れていた人だったせいか、妙にうまが合い、今子供を持つまでに至っています。不思議なものですw

 

 

成人・結婚=家を出てJWとは完全縁切り

旦那が新卒として働くとき、どうせ引っ越しするならと東京に飛ばされて私も引っ付いて家を出ました。

引っ越す一週間前に「来週から東京に住むから」というだまし討ちで実家を飛び出しました。当然父や母からは落ち着いてからでいいのでは無いかと引き留められましたが、結果的に私は飛び出してよかったと思います。

実家を出てから、初めて親がいない自分の家を作っていく環境となりました。

最初に二年ぐらいは喧嘩だってありました。でも、母の爆発よりは全然マシだと生活を続け、やっと落ち着いた頃、友人から表情が丸くなったねと言われるようになりました。あんまり自分ではピンとは来なかったのですが、いつもどこか気を張っているように感じて怒りっぽいかったと言われました。

数年振りにあった友人からはよく笑うようになったと言われました。

そこからふっとそんなに変わったのか?と自分を振り返ってみる機会を増やしてみるとどうも本当にイラつく機会が減り何かを考える機会が増えたと実感しました。

あんな家にいたのだから仕方が無いと考えていたのですが、JW親という呪縛が取れたことが大きいのだと最近気が付いたところです。

 

 

JW親という呪縛

誰だって親というのはどこかで逆らえないと感じたり親だからという意識はあると思うのですが、JW親はモラハラ・宗教強要・鞭という名のDVで子供を支配します。親本人は全く無自覚で行ってるのがネックです。

ある程度自我のある頃に親がはまったという人は突然教育方針が切り替えられて困惑したという人もきっと多いでしょう。

普通の躾ではなく支配という形での躾を行った親は子供の心を縛り付けます。

そうなると「親に聞かないと」「親の判断を見ないと」となり【行動基準が親になる】という現象が起きてしまいます。普通に虐待児と同じ反応が見られるようになります。

一般的な虐待とは違い、明確に親からの愛情もしっかりと与えられることで、愛されることと傷つけられること、両方を知り愛情のほうにどんどんと依存していき抜け出せなくなる。長年そうした教育を行われると行動基準を自分に持つことができず、ずぶずぶと常に何かに依存しないと不安になるという心理状態になりやすく、依存している自分にさらに不安になる。そんな連鎖に陥ってしまう。

JW親の教育というのはこういった形で成り立っています。

なので、JW親というのは呪いであり呪縛です。

 

 

JW親の呪縛から抜け方

今思えばという結果と私にはあっていたというやり方ですが

・二次創作でもなんでも自分で何かを作り誰かから褒められるという経験を得た

・親にはできないことを身に着けた

・物理的に親から逃げ出した

・なるべく自分から親には連絡を取らないようにした

これが効果があったのだと思います。

前述した中学校の時にお遊びでやっていた二次創作、じつはこれが自己肯定感を養うための土台になっていました。これの何が良かったのかというと【自分が作った物に評価を下され、自分を褒めてもらえる】という承認欲求を満たすことができます。

この承認欲求が自己肯定感を作るための所謂ご飯になりました。

さらにこの二次創作物を公開するためのサイトを自分で作っていたのでHTML/CSSを身に着け、結果としてこれが仕事に繋がっています。

私の親はDTPデザイナーだったので、デザインの域は親にはかないませんが逆に親は私のコーディング技術は持っていないので【貴方ができないことを私はできる】という自信を持つことができるようになりました。

物理的に親から離れたことと連絡をなるべく自分からしないというのも、親に自分は自分でやってるという意思表示と、ストレス原との切り離しです。

JWの親は宗教を抜けば普通なので【親というのは子供が心配であるという心理だけ】は理解して、親からの連絡だけを受けるようにしました。元からさっぱりとした人達だったので頻繁な連絡はなかったのが幸いでした。逆になんの関わりのない祖母からの連絡が頻繁で、気が向いた時だけ電話をとってます。でも家を出た関係ってこれがちょうどいいんだと思います。

 

 

パートナーの理解

これが私の幸運だったというしかありません。

私の旦那は作った食事に対して必ず何かコメントをくれます。

美味しいとかこれは微妙とか。ほんの些細なことです。

あとはここを掃除したとかいうとそれをまた褒めてくれる。

それがあったので私も旦那が何かをしたら褒めるようになりました。

すると不思議なことに褒めるっていう行動は自分の心にも良い作用があるようで、徐々に精神が安定し、落ち着いていったみたいです。

JWの方がよく悩む「JWのことを言った方が良い?」という疑問。

私は言う必要はないと思ってたのですが、冷静に考えて冠婚葬祭などJWの常識が一般の非常識になりえることが多々ありすぎると思いなおし、軽くジャブレベルで話してみました。

最初はJWという言葉を使わず「実家がキリスト教かぶれだったから冠婚葬祭の常識が欠落しているかもしれない、その時は教えてほしい」といった感じです。

急にカルト宗教の名前を出すよりもぼかして伝えることで受け入れやすいかなと考えた結果です。それ程度で最初はいいのかなと思いました。

そしてその次、実生活にかかわってくることが出てきて初めて「実は…」と話してみました。

私の旦那は「ふーんそっか」で終わりましたが、ここで甘えて「JWだったんだから仕方が無いじゃん」とか思わずに「JWだったのは確かだけど彼が見ている私はJWのない私だから言い訳にはならない」と肝に銘じて「JWがあったにせよなかったにせよ私はこの性格なんだ」と自分を認めて自分を受け入れました。多分、この自分を受け入れられたのも二次創作などで自分を認めることができたからだと思います。

この次にどんなものでどう苦しんだから子供ができた時にこうはしたくないというのを映画などを見たときにちょこっとだけ触れてみたりして一気にわーっと出さないように頑張ってみました。

こうしてなんとか土台を作った、そんな感じです。

 

 

JWを抜けてから、いろんな回り道をしましたが、自分というものを作ることが一番のリハビリになったのかなと今は思います。

まだまだ、スタートラインに立ったのが遅く、未熟なところもありますが、まず自分を理解し受け入れ、自分を作るってなによりも大切なんじゃないかなと、最近実感しています。

 

母からの謝罪

ちょっと前にも、母がJWを抜けてからのことを書いた記事を書きました。

それから時間が過ぎ、今の変化を書いてみたいと思います。

多分、ここからはJWは関係なく、境界性パーソナリティー障害の母と離れてというのが正しい表記ですね。

 

JWを抜けた母

私が実家を文字通り飛び出して10年近くたちました。この頃はまだ母はJWに入っている状態だったので、引き留められる可能性などが怖く、引っ越す一週間前に来週東京に引っ越すからといった感じで文字通り飛び出すように引っ越しました。

そこから母とはちょくちょく電話やLINEをする中ではありました。しょっちゅう離婚したい、家から出たい、離婚して自分も東京に行きたい、お金は出すから一緒に住んでほしいといったことを冗談だったのかそんなことを言ってきていました。

私はほぼほぼ冗談だろうと無視して流していましたが、ついに両親が離婚し、母が不倫相手と千葉で暮らし始めたことを伝えられてから、あれは本気だったのかとぞっとしました。

両親の不仲というかすれ違いは昔からでしたし、離婚するのは秒読みでいつかするだろうと思っていたのでそこにショックはなかったです。ただ単に散々JWの教義を私に押し付けていたのに自分はほいほいと破って不活発からの排斥コースに走り、理由も「だって最近合わないんだもん」だったので、私の中で折り合いをつけていた幼少期の私が「ふざけんじゃねえよ!!!」と叫び声をあげました。

きっと母が今もJWを続けていたら、もはや仕方が無いことと認めたでしょう。もし辞めたとしても、教義が合わなくなったと理由であっても、JWでの教えを守り不倫などしていなければきっと普通に付き合えていました。

ですが、不倫という形でしかも相手の家庭を壊すトリガーとなりぶち壊している現状にJWを抜きにしても一人の社会人としてあり得ないと思います。

筋が通っていないことを母は鞭を使い体罰をもって教え説きましたがその張本人が全てをぶち壊しているのはさすがに、怒りを感じます。

 

 

謝ってほしいのは過去

母はなんとかして私と連絡を取ろうとしていますが、私はすべて拒否しています。せめて、私に対してJWに強制加入させ鞭を振るってきたことを謝罪してほしいと父伝いに伝えました。母は最初はそれを拒否していました。理由は私は間違ったことをしていないから。

ですが、連絡を絶ってから二年がたち、私も妊娠し、さすがに母もどこか焦りがでたようで、最近、父伝いに謝罪のLINEが入りました。謝罪するという言葉がすっぽぬけている母から珍しいものだとLINEを見ましたが、それは謝罪とは程遠いものでした。

本人は謝罪しているつもりなのはわかりましたが、大人としてこれを受け入れるのは逆に間違っていると思い、それすらも突っぱねました。

 

以下謝罪文-------------------------------------------------------------

私が言うのは何ですが
私も親が離婚をして
そのせいで、人生が狂ったと恨んだ事もあります。
貴方も、そうだと思いますが、勉強だとか、努力で自分の人生を変えるのは自分でしか無理だと言うのはご自身の経験で分かるかと思います。こちらに来て、仕事で色々な人と関わって、
◎◎言う様な事を言ってる同じくらいの年齢の人もいれば、精神的自立している人もいます。

コミュニティに作るのは自由ですが、他の子を巻き込んで、グチの言い合いをしてても何もうまれません。

自分も親になるのですから
もう少し、精神的自立をして欲しいと願います。

 

私は、子育てに自身が無く
でも、子育てだけはしっかりしなければと、悩み
クリスチャンになったわけですが、裏目に出たようです。

◎◎を苦しめる事になってしまいました

 

強いて言うなら
自分にも自身が無く
自尊心も無いので
そんな人間が結婚をし
子供を持つのが間違っていたのだと思います。

------------------------------------------------------------------以上謝罪文

 

これ、謝罪らしいです。

これで私は母を許すと思ったらしいです。

私が謝罪してほしいのは

・カルト宗教であるJW、エホバの証人に無理やり入れられ、子供らしい子供時代を送る権利を楽しみを取り上げられたこと。

・そしてそれを無為にするような行動を母が取ったこと。

この二点だけなのですが、私、そんんんんんんなに変なこと言ってますかね。

ちなみに両親の離婚に傷は一つもついてないので何言ってんだです。

どっちかというと、相手側のお子さんに対して心配しているレベルです。

私はそんなに自立できていないような甘えたこと言ってますかね。

逆方向にあきれて笑えてきて連絡遮断延長戦となりました。

ちなみに旦那にこれを見せたところあきれた感じで「相手のことを理解しようとしていない人だな」のコメントでした。数回しか会っていないのによくお分かりで。

 

 

母の常套手段

母は私がいかに幼いか、精神的に未熟であり子供であるかということを昔から常々説教してきました。なので私はとても精神的に押さなくて未熟な人間だとずっと思っていました。でも、そう言えば私が折れるから、母の下に常にいることに出来るからという理由だったんだと、今理解することができます。

JWでの教義と母からのモラルハラスメント両方で自己肯定を養うことができず成長してきましたが、母にはできないことを身に着けたことで、初めて自分をほめることができるようになりました。そこから、どんどん自分というものを見つけられるようになってきました。

なので、今回のこの謝罪してんだかしてないんだかという常套手段に怒るという対抗手段を取ることができるようになりました。

母はとにかく自分が悪いという場面であっても絶対に謝罪ができない人です。

それは私や父はまたかと飽きれて終わりますがそうではない外の人でしたらすんなりと離れていきますよね。それが理解できないらしいです。

とにかく周りが悪い私は悪くない。

不倫して自分が壊した家庭も元から崩れていて自分は悪くないと胸張って言ってます。

 

 

境界性パーソナリティー障害

母と離れてから、少しは寂しいという気持ちはあります。

やはり親ですし、憎くて憎くてたまらないわけではなく、普通に親として感謝をもしているし、愛情だってあります。でもそれを上回る恐怖などがあるわけです。

境界性パーソナリティー障害という人格障害は試し行為という行為があります。

とにかく相手を傷つけても自分は愛されているかという試し行為です。

パートナーであっても子であっても親であってもそういうことをします。

そして0か100かという両極端な考え方なので、ここがJWの白か黒かという考え方にぴったり合ってしまったのでしょう。しかも、パートナーや親と違い、JWの人達は否定したりしませんからそれは心地よかったと思います。

周りからは些細なことで「姉妹すごーい!」って褒めちぎられて承認欲求は満たされる。さらに子に対しての体罰は許容されますから、怒りを抑える必要はありません。さらに周りは否定したり怒ったりしてきません。こんなもん、境界性パーソナリティー障害の人には嬉しい環境ですよ。

でもJWから一歩でてしまえば、おかしいことや悪いことをしたら否定して叱られます。だから、逆切れを繰り返し試し行為を行います。自殺未遂騒動を起こしたり祖母の家に突撃したり、自分の気分だけで人を振り回し続け、自分が悪いとなると相手を攻め続け自分は悪くないと逆切れし続ける。そんな人との生活は家族の心をずたずたに疲弊させていきます。

私は小さいころは鞭という恐怖、成長してからは父と一緒に顕著になった母の人格障害からの連日に及ぶ暴言や暴力に振り回され、家族全員で導火線に火のついた爆弾を回しあいながら生活していました。

母は人の趣味を許容できず、自分が不愉快だから止めろという人だったので、すべて自室にしまい込み、リビングにちょっとでも置いておくと捨てられる。

父も昔は音楽が趣味でしたがそれもすべて規制され、趣味という趣味を全て封印されていたそうです。

父と話していて、母が一番精神年齢が低く、一番何かに依存しないと生きていけない人であり、謝罪文もほぼほぼ自己紹介だなというところに落ち着きました。

子育てに悩んだ挙句JWに入ったというのはこれは嘘だなという意見も一致しています。

とにかく自分がその時その時気持ちがいいものに依存がしたかったんだと思います。

境界性パーソナリティー障害は底なしのバケツに水を注ぎ入れ続けるようなものだと言います。

言いえて妙なものです。どれだけ周りが愛情を注いだって本人は満足しない上にもっともっともっとと要求し続けます。それに周りを疲弊させていく。

でも周りからはそうは見えず、明るい人当たりの良い人に見えていて、周りに相談したって、いいお母さんじゃないと理解してもらえません。これにJWを掛け合わせられたことで私の逃げ場はなくなりました。

いち早く、実家を出た私は今の旦那と生活をしてから生まれて初めて自由な生活を手に入れました。いつだれかがキレるかわからない環境に怯えながら人の顔色を伺いながら生活することがどれだけ辛いことだったのか思い知らされました。

そして父も離婚し、面白いことに私と同じことを言っています。きっと、この生活が普通なんでしょうね。

 

 

 

これからの母との関係

父と旦那と話し合い、おなかの中にいる子供から母方の祖母を私の感情一つで取り上げてしまうことになるが、まずは産んでから生活を落ち着かせることを優先しようということで話が落ち着きました。

母と復縁するデメリットが大きすぎて今のところ復縁する気が起きません。

考えられるだけで

・不倫相手ともしも別れたら近いからと家に来るのか

・不倫相手と別れなくても喧嘩をしただとかなんだとかで家にくるのか

・子供の前で私や旦那を笑いながら下げるような発言をしそう

・そもそも老後のことどうすんだ

・もう二度と爆弾を気にする生活をしたくない

やっと普通の生活を手に入れたのに、もう私は手放したくない。

出産時に母が見舞いにくると息巻いているようですが

出産日を伝えず、念のため病院には面会拒否をお願いすることにしています。

不倫をして家を出た時点で祖母という立場を自ら手放しているのだから当たり前だと私は考えています。

JWでした、JW内にいる子供への脅し

二、三回ほどJW当時に受けた体罰の話はいくらかしているとおもいますが

もうちょっと子供に対する影響の話を細かくしてみたいと思います。

 

JWの教義

まず、JWの協議の根っこ部分として

JWの信者はいつかくるハルマゲドンというなんかすっげえ天変地異で人類滅亡しても主神であるエホバが信者達を守ってくれて楽園に連れていき永遠の若さと命をくれて、なおかつ今までに死んでしまった親兄弟(信者限定)や友達(信者限定)も復活してみんなで楽しく暮らせます。

というもんです。

JWが敷いたレールから外れたら、脱会したら永遠の命はないし復活もできないし死んだら最後、親兄弟も友達とも二度と会えない。覚悟しろよ。ついでに今JWに入ってない人も復活できないから、一緒に居たい人には広めろよ。

っていう脅し付きです。

これが根っこにあるというのはとても子供への強い恐怖という下敷きになります。

 

子供というのは学校と家そこしか居場所がありません。

大人なら自分に合わないコミュニティからは逃げたりできますが、子供はそうとはいきません。まず大人と子供の差に大きなところがお金と生活力です。これって当たり前のことです。お金がないとご飯が食べられません。お風呂も入れない服だって着れられない。生きることができません。

学校から逃げたって生活する事に影響はありませんが、家、家庭というものはそうはいかない。まさに生きること生存することと直結しています。親というのは子供の生命線そのものです。

もしも連日のように報道されているような虐待の家庭とかならきっと児童相談所が動いてくれるでしょう。でもJWは違います。外から見る分にはとても子供は大人しく、親も優しく子供をよく見て良い子になる躾をして、綺麗な服を着せてニコニコしていて、虐待とは無縁のような家庭に見えるのです。そこがネックです。さらに虐待の目印となると言われているネグレクトの兆しや体罰による傷や痣が見えないのもなかなか厄介。

JWの児童虐待は体ももちろんですが根っこにある教義と教えが精神虐待に近しいというところが問題であり、周りからの介入が難しいというのが問題です。

 

家庭の孤立

まず、前述した教義ですが、これって大人からすると馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うことができますが、子供にはこれが十分な脅しになります。まず、子供の生活環境は学校と家、というのは前述しました。ここにJWという組織が加わります。一般家庭の子供からすると、コミュニティが一つ増えてるじゃないと見えますがこのJWが厄介。

JWの教えの中には「世の人と関わるな」というものがあります。この世の人というのはJW以外の人と社会のことちなみに家族であってもJWでない家族も世の人扱いとなります。世の人は甘言によって教えを否定し、JWを協議から躓かせる悪魔サタンからの誘惑であると教えられます。なのでJWにずっぷりな人程、必要な人としか交流を持ちません。というか、周りの人に勧誘話を持ち掛けて周りから疎遠にされるというところが多いと思います。

なので、家庭から世間というものを切り離し家族を家庭の中に押し込んでしまい、大人ですら外との関わりがJWだけとなりどんどん狭い価値観となります。

これが家庭と離れた世間だけの問題ではなく、前述した家族も含まれます。

例えば妻がJWで夫が未信者なら妻は夫をなんとかJWに引き込もうとします。しかし夫は怪しげな宗教を信仰しはじめた妻を元に戻そうとして妻との確執が生まれ、溝ができる。ここで夫の取る行動は

1.離婚

2.家庭内別居状態

3.無関心

のどれかになると思います。子供がいる家庭ならおそらく3を選択する配偶者が多くなるのではないでしょうか。私の父は3を選択しました。たまに集会に一緒に来たりもしていましたが、単身赴任というのもあり常時家のことをみることができず自然と家庭から離れてしまいました。

家に帰ってもJWの集会だ奉仕だで子供は連れまわされて父子の時間を持たされず、自分も集会や奉仕に連れていかれそうになる。仕事から帰ったら家は宗教どっぷり。休めることなんてなかったと言っていました。さらに大人になって祖母と話した時、母がJWに傾倒し叔母達までも巻き込みかなり揉めたそうです。やはり、JWから切り離そうとされたことに怒り狂ったといった感じでどんどん孤立していき結果として完全に母一人子一人の家庭となりました。この世の人との関わりを絶つという教義のせいで家族の枠組みをさらに狭め価値観と世界観をどんどん狭めていき、誰も異常性を認めさせてくれる第三者がいなくなるのです。

 

精神的に子供を追い詰める

一世となったJWの親はJW=今の苦からの逃避、未来への希望(偽)という価値観になり、JWの教えが正しいものでこんなに良いものを子供にも教えなきゃ。将来我が子が死ぬなんてダメ、一緒に生きなきゃいけないという子供への愛情がどんどん歪みJWの押し付けとなってきます。

この押し付けの中で親が子供にJWの教えを教え込むときに恐らくJWの大半の人が言われていると思うのが「楽園に行けなくてお母さんと会えなくなったら嫌でしょ?」です。これって、子供からするとJWから逃げ出すとお母さんやお父さんに二度と会えなくなる、あなたは独りぼっちなのと言われているのと同じことです。挙句の果てにハルマゲドンは明日来るかもしれないしなんなら十秒後くるかもしれないという脅し付き。

そんな脅し文句ときっと世の人は笑ってしまうと思いますが、前述した教義の教えを懇切丁寧にわかりやすく子供に刷り込むと

「もしも明日ハルマゲドンが来たら自分だけ死んじゃうの?お母さんと会えないの?」

と子供に死の恐怖と孤独という感情が刷り込まれます。

恐らく一般家庭の人が死というものと対峙するのはペットの死や親戚の死にあった時初めて意識する事かと思います。ですがJWの子供は生まれて教義に触れ言葉を知り文字が読めるようになってくると同時に死の概念と対峙させられます。しかも親が消えてしまうかも自分を孤独にするかもという恐怖付きです。

ここで自分を一人にされるという恐怖で親=JWに逆らうという選択肢を奪います。

でも死って誰しもが迎えるものでそんなものを恐れるの?という疑問がでると思います。ここにダメ押しが一つ。

「排斥」というシステムがあります。

排斥というのはJWの教義を破り脱退した人を居ない人、死んだ人という扱いで街ですれ違っても無視をする。それどころか家族ですら話すことも挨拶することも何もかもを禁止しいない人として扱うというものです。

まあ、ようするに虐めのハブるというのを家族含めてJWのコミュニティ全体で行うというものです。辞めたいのに辞められないという人があえてこの排斥システムを使うこともありますが、これ、子供にしたらどうでしょうか?

教義を破る行動をしたら

・仲良くしてくれていたお友達から無視される

・お母さんと話せない

・お父さんに無視される

・明日からご飯が用意される保証がない

・着るものの準備(購入や洗濯)をしてもらえる保証がない

・自分の家に帰ることができる保証がない

・家に帰ったら一人になる

・もしも自分が排斥になった翌日にハルマゲドンがきたら?

こんな不安を容易に子供に抱かせます。 死への恐怖と排斥の恐怖で精神的に子供を不安にさせ、親と子をべったりにさせる精神的虐待に加えてここに体罰という物理的な教えを入れ込みます。

 

鞭という名の体罰

厄介なのがJWの教えの中に家族の構築方法や子供への躾の方法といったなんか宗教のくせに家庭事情に首突っ込むなというところがあります。

この子供への躾の方法はおそらく私達30代の世代の二世と今の二世の子とはかなり変わっていると思います。なぜかというと、教義が変わっただろうから。おかしいと思うでしょ。JWころっころ教義変わりますから。私たちの世代は鞭によって子供を訓練し躾をしろという教義がありました。

この鞭での躾というのは前ブログでも記載しましたが、子供自ら下着やズボンを脱ぎ、四つん這いになったり親の膝の上に横たわり生尻を差し出してその生尻をひっぱたくというものです。

きっとこれだけなら「おしりぺんぺんぐらいそんなのどこの家庭にもあったよ」と笑い飛ばす人はいると思います。今と違い私達の時代は体罰というものがまだ残っていた時代だったので、文字だけではこれぐらいと笑い飛ばせるかもでしたが

私の家庭ではゴムホースやガスホース、ハンガーや革ベルト、家電製品の電気コードや素手で大人の力で数十発と叩き続けるというものでした。これも地域や家庭で異なる部分は多いと思いますが、叩かれる数が違うだけで似たようなものだったというJW二世は多いと思います。家庭によっては叫び声をあげては駄目だという家庭もあったようです。私はがんがん叫んでました。泣きながらごめんなさいの大絶叫です。

ここで子供の心と体をへし折り心でも体でも大人には敵わないと刷り込みます。

なぜこうする必要があるかというと恐らく子供を大人の社会=JW内で扱いやすいようにする目的があったのではと思います。

ちなみに父は私が体罰にあっていることは知っていました。

というより、子供への多少の体罰は必要だという世代でもあったので体罰が行われること自体には反対していませんでしたが

父が思っていた鞭=服の上からお尻を二、三回強めに叩く

私が受けていた鞭=生尻を自ら出して物を使って大人の力で数十発多いときは百発叩く

認識の乖離が顕著でした。ちなみにこの数十発というのは最初は10発スタートで駄々をこねたりして観念して自ら生尻を出して叩いてくださいとなるまでに10秒10発増えるシステムなので基本数十発叩かれてました。

何故ここまで乖離していたのかというと、父がいる日に鞭は行われなかったり、母がわざといつもと同じような鞭をしなかったからということでしょう。というかレアキャラの父がいることで悪さをしなかったというのもあると思います。

 

子供への鞭は親の称賛

JWには集会というものがあり約2時間教義に沿ったなんか有難いんだが有難くないんだかよく分からない話を延々と聞かされます。この集会中に子供が声を上げたら迷惑ですよね。だから叩いて大人しくさせる。さらに奉仕というものがあり、見知らぬ家庭に突撃ピンポンして教義を教えに行くというのもありその時に子供が騒いでいたらみっともない。なのでぐずったり我がままを言ったら叩いて大人しくさせるという図式ができます。

その証拠にJWの子供はとても大人しいです。泣いて騒いでというようなことはめったに無いと思います。ほんの二歳三歳、それよりも下回る様な子でも大人がダラダラ二時間以上喋る集会でお腹が空いたり飽きたりで泣いたり足をぶらつかせるだけで、親が子供を小脇に抱えてダッシュでトイレに行き鞭タイム。人によっては鞭入れのポーチを持ち歩き、外でも鞭ができるように構えている人がいました。

ちなみに我が家では複数回トイレに行くのも鞭

車で集会会場に行ってましたが嘘ついて解説中に寝たら鞭

つかもうお話し中に寝たら鞭

壇上からみっともなく見える行動をとったらすべて鞭

そんな調子でした。そらそんな中で育てば体罰を食らうことを学習したら大人に都合のいい子供に成長します。おそらく今、2世の人たちが苦しんでいる原因の一つだと思います。死と孤独という脅しで心を縛り付け、鞭という過度な体罰で自尊心と自立心を傷つけ大人がコントロールしやすい子供に成長させるのです。

大人はこの手がかからない大人しい子供というのありがたいもので、大人しく従順で大人の言うことをしっかりと聞くことができる子供を周りのJWの大人たちは

「よく訓練されて良い子ね。お母さんの訓練が行き届いているのね」

ととにかく親を誉めます。それどころか体罰に躊躇する大人へは

「ちゃんと鞭で訓練しなきゃいけないわ!神の僕としてちゃんとした大人にしなきゃ」

と叱咤激励が飛びます。叩いて叩いて大人しい子供になればなるほど親は褒められるのです。そして大人が喜ぶ返答ができる子供になればなるほど子供は褒められ親は鼻高々とい図式です。

今大人になって思いますが訓練って犬かなにかかと。この訓練と鞭という言葉だけで子供の人権がなくなってるってこと表してるなと思います。

 

称賛と止められない体罰

体罰って止められないのかと思うのですが今大人になって体罰を行い大人しい子供に躾ができれば称賛される。そんな環境で人は止めることができるでしょうか?

JWの空間にいると体罰を行うことへのハードルがぐーんと下がります。叩けば叩くほど褒められ称賛される。目に見えて子供は大人しくなり教えの通りだと思い込みどんどん叩く。こんなループが親子の中に出来上がっていきます。

教義の中で鞭をするのは良いけど子供を苛立たせないようにしようねというのがありますが、親からすれば私は大丈夫、我が子も納得済みだと思い込みさらに手を上げます。

子供はどこにも逃げられないから叩かれながらもニコニコして「エホバ大好き!JW大好き!自分も楽園にいく!お母さんと一緒だね!」と言い続けます。

だから親も子供が納得済みで自分と一緒にJWのレールを歩いていると思い込みます。実態としては子供の生命線を人質として手の中に握っていることを気づかずにです。

これって、本当に子供にとって健全な環境でしょうか。

 

成長と脱会

JWの子供は大人しく従順です。でもどこか二枚舌なところがあります。それはなぜかというと、大人しくしていないと叩かれる。でも家庭とJWの外学校では普通の家を装う為に他愛ない嘘を言ってみたり、学校であったことをそのまま親に言うのではなく親が望むような形で報告します。そうすると自然と二枚舌に育っていきます。

そしてそんな生活の中でふと気づくのです。おかしいのは自分だと。

幼少期はJWだけの世界でも、学校に上がると学校という世界が広がり、自分の周りがじつはおかしいことに気づき、どんどん自分に二面性を作り上げていきます。

学校の自分と家の自分。学校では普通に見せて家ではJWに見せる。

こんなのは嫌だ苦しいと思っても小学校や中学校の時に子供は親元を離れられるでしょうか?ハルマゲドンがいつまでたっても来ないし予言なんて嘘っぱちだと気づいても、親戚との繋がりは親によって絶たれ、周りはJWの大人だけ。待っているのは排斥システム。明日の食事すら保証されない環境は続きます。ここで未信者の親族が助けの手を出してあげられたら変わるかもしれません。でも、そうできる大人はいるでしょうか。

見た目は大人しく虐待されているようにも見えない、ただ単に変な宗教にかぶれているだけで生存することや教育といった目に見える面に問題はない。そんな中で、この二世を助けられますか?

私は中学校の時に母が激昂し首を絞めるという行為を取ったため友人の家に駆けこむことができました。でもそれができる家庭は少ないと思います。ある種運がよかったと思います。

そしてそこから成長し高校に抜けたという人も多くなってきます。

これは高校になるとアルバイトとして自分の食い扶持を確保することがギリギリできるようになり、中学校よりかは排斥をされた後の生活になんとか打開策を自らうつことができるという理由からでしょう。

大人になってから抜けたという人は自分の生活基盤を作ることができるようになる年齢だからという、排斥システムの脅しが効かなくなってくるからです。

 

抜けてからの後遺症

こうしてよいしょと一歩動いて抜け出せた人はとてもエネルギーを消費た結果です。抜けた後、しばらくはとてもしんどい思いをします。簡単なイメージとしては徹夜仕事明けの心身ともにぐったりした感覚がずっと抜けないという感じでしょうか。

不安や恐怖をかなぐり捨て、これからの生活を自分で築かなきゃいけない。なのに子供の時からの精神的虐待によって自立心や自尊心を大いに傷つけられ、親とべったりだった精神面の弱さに直面します。そしてJWというのは良くも悪くも目に見えた悪意というものが少なく、社会に出た時明確な自分に向けられる悪意という物の対処を自分の心でしなければいけないという現実に直面します。

JWの頃は悩みがあればエホバに祈れば良いのばかり言われ続け、解決するというより放置するという選択肢ばかりです。そんな中、自分の手で何とかしなければという場面に直面しあたふたすると思います。

こういうのって子供の頃からちょっとずつちょっとずつ身につけることでしょうがJWにはそんな機会を全て奪われてしまい、0からのスタートとなります。

JW二世に鬱や精神病患者が多いと言われるのは幼少期からの体罰と死や孤立といった精神的虐待が起因となり、JW内と社会とのギャップに苦しむというのが理由と考えます。

抜けたらそれで終わりでしょ?ではなく抜けてから、いかに自分を確立するかというところに無駄な力を割きます。それは何年かかるか、どうなるかは人それぞれでしょうが、私は自分で自分を大切にする愛するということがすっぽり抜けています。

JWの終末論の中で育ち、いわゆるリセット癖のような思考となり死に関するハードルがとても低いです。死ぬということに恐怖はあります。自ら自殺を選ぶほどの度胸はありません。でも明日にでも心臓麻痺でも起こしてすっと死なないかなとずっと小さな頃から思い続けています。

さらに自分で自分を好きになり大切に思えないので18になってすぐはっきりいって売春行為をしていました。素人AVとかやってみました、風俗店もお試しで行ってみたり性に奔放になりました。それはなぜかというと男性に好きにされている間は自分の存在を自分で認めることができたからです。避妊だけはしっかりとしていたので妊娠騒動は起こしませんでしたが、そのツケでも回ってきたのか、それとも二次成長期に家庭が不安定だったせいで自分の精神面も不安定だったのが原因なのかホルモンバランスが不安定な体になりました。

一度祖母に耐え切れず相談したときに「自分の体を切り売りするな」と叱られわんわん泣いたのを覚えています。

 

 

 

嫌なら逃げればいいと言う人はたくさんいます。

でも、たった一桁の年齢の子、十代に入ってすぐの子が生まれてすぐや生まれた時からずっと刷り込まれた恐怖に打ち勝って家を出るという選択肢をすぐに出せるでしょうか?

死と自分の生活、孤立を武器にJWは子供を脅し続けます。

こんな環境をJWはずっと子供に強いてきます。

こんな環境が子供に良い環境だと言えるのか。

もし今、JWの方で子供を巻き込もうとしている方

JWの訪問に心が傾きそうな方

今一度、宗教と子供の環境を考え直してほしいと私は思います。

そして宗教による子供の縛り付けも虐待の一つだと、世に認めてほしいと願います。

体罰などではない形ない虐待があるともっと世間に知られてほしいなと思います。

JWを抜けてから、母の変化

Twitterのほうに、自分をJWに入れた親が教義に反することを平然と行っていたら許せる?許せない?といったアンケートをやってみました。

 

 

こちらのツイートです。

というのも、母との付き合い方にどうすればいいのか戸惑っています。

なので、似たような環境下に居た人たちはどんな気持ちだろうと知りたくなった次第です。

前記事でも記述しましたが母が境界性人格障害から起因しているであろう暴言やJWの協議による体罰はどうしても私の中で大きなしこりとなって残っています。

そんな母ですが、これがもし今も粛々と母がJWを続けていたら多少は宗教観が親子といえども合わないのは仕方がないことだと私の中で一つ納得していたかもしれません。ですが、現実はそんな甘くはありませんでした。

 

おかしいなと思い始めた

私がJWを抜けてから母が鬱になったり人格障害が発覚したりと母自身、JWを続けていくことが身体的にも精神的にも難しくなり[お休み]という形をとっていました。そのことに関しては何も思っていません。誰だって風邪ひいたら休みますから。そんなもんだと思っていました。

しかし、母の鬱がよくなってきて外に出かけるようになりました。そろそろまたJWの集会に出かけたり伝道活動をするのかなと思っていたらところがどっこい、まったくいかなくなりました。母本人に行かなくなったなと言っても「私は今お休み中なの」としか返ってきませんでした。まあ、そんなもんかとその時も思っていました。

さらに鬱がよくなりどんどん遊びに行くようになりいろんな習い事を始めたりしてほぼ良くなってきたころです。このころ、私は家に帰らず当時の彼氏の家に入り浸っていました。

なのでたまに家には洗濯しに帰るぐらいなもので母との接触は少なくなってきていたのですが、Facebookのほうでは無理やり繋がられたので母の動きを知ることができました。

ある日のことです。母のFacebookに「大吉~!」とかいって神社の御神籤をもって笑っている母の写真が上がりました。いやもう、目を疑いましたね。

神社って鳥居くぐるのすら禁止してませんでしたっけ??????

ましてや御神籤て。

家に帰ってこれについて軽く聞きましたよ。

JWお休み中つってもバブテスマを受けた正式なJWがこんなのしたらあかんのちゃうんか?とすると母からの返答はまぁすごい屁理屈でした。

「神社仏閣といっても手を合わせたりしているわけじゃないし、神社仏閣の建物自体が歴史的建造物だからそうした歴史に触れに行っているだけだ」

では御神籤は?

「ただの紙切れを引いただけ」

怒らせたくなかったので「お、おう、そ、そっか」で流しましたが

そんでいいの???????????

 ここあたりから母はもうJWのことなんかどうでもよくなったんだと思います。普通に所謂世の人として過ごし始めました。どこにでも遊びに行くし、家族を置いて海外旅行なんて当たり前。聖書なんて一ページも捲ることはありませんでしたし。わざわざ買った母の勉強用机で日々の研究なんてやらずに机には埃がかぶっていました。

 

挙句の果てに不倫

正直、神社仏閣へ行って御神籤引いて満面の笑顔の写真撮影しているだけでも、私のJWで苦しんだ年月を否定されたような気がしてとにかく腹が立ちました。しかし、もういい加減にしろと言いたくなったのが母の不倫発覚です。

発覚した経緯というのが、鬱がひどかったころ、しょっちゅう家を飛び出してどこか山奥だなんだに行って自殺未遂をしようとしたり親戚相手に暴れまわろうとすることがあったので、父がこっそりと母の車にGPSを仕掛けており、その存在は父と私だけの秘密でした。

当時私が付き合っていた彼氏の家の場所を母に言っていました。琵琶湖の対岸にあるところで専門学校の先輩からの紹介で知り合ったんだよといった感じです。

そんなある日のこと、その彼氏と他友人と遊んでいるときに父から唐突に電話が入りました。

「お母さん浮気してる」

は?としか返せませんでしたがさらにびっくりなのが

「〇〇というラブホに今いる」

そのラブホ、彼氏の家から徒歩数分かからないレベルのところに建っていたんです。しかもその彼氏の家がある地域唯一のラブホ。ちなみにそのラブホに行く前にラブホ街があり、わざわざそんなところに行く意味がわからないレベルの場所です。その報告を受けた時はたまたま全然違う場所にいたので、遭遇するリスクから避けることができたのは不幸中の幸いだったと思います。しかし意味が分からず、携帯電話片手に固まる私を友人達が心配そうにしていたので

「お母さん浮気して〇〇ってところに居るらしい!笑えるー!!!」

ともうほぼ無理やり爆笑して大混乱。彼氏にすぐ家に帰してもらい父と私で家族会議が開催されました。父はもうあんなに今まで頑張ったのにとうなだれていました。

私もJWで幼少期をぶち壊され、さらに中高生時代は人格障害だなんだでめちゃくちゃに破壊され、数えきれないほどの暴言を浴びた結果が不倫。もう母としてどうかと思いました。

母自身はもう「子供が独り立ちをして私はもう私の人生、第二の人生を歩むの」という頭でしかなく、家族という枠組みなんて理解していないようでした。

母の中では「子供は大事、でも夫は私の足を引っ張り私のお金を搾取する邪魔者」という認識です。ちなみに母の言う私のお金というのは、共働き夫婦でしたので母自身が稼いだお金はもちろんでしたが、父が稼いだお金も全て私のお金認識でした。

なので父が単身赴任当時に月三万円だけ渡して後は家計と私のお金にしてしまっていたため、父が生活に困窮し消費者金融に手を出した時はもう大荒れでした。

「借金までするお金にルーズであり得ない男だ!!!」と騒ぎまくっていました。

このことを大人になってから父から聞いたのですが、どちらかといえば母のほうがモラハラと経済DVをしていたんじゃないかと私は思います。

そして自営業になり、経費や必要なものの買い足しで消えていくお金をみてさらに発狂というかんじですかね。

なので母の中で父というのは敵の中の敵だったわけで、いつでも切り捨てる。邪魔者。の扱いでした。

母が入院したり、自殺を止めたり、救急車を呼んだり、反抗期で荒れる子供の相手をしたりしている父は母の中では邪魔どころか「自殺をするという私の権利を阻害した悪者」の認識です。

なので、堂々と出会い系アプリで関東の禿と接触し、いそいそと不倫をしたということです。完全にJWであること、JWであったことなど捨て去っていました。

しかも母は自分の不倫が子供である私に知られているなんて隠す気なんてさらさらなかったようです。まず洗濯物がおかしかったです。

当時50手前の母の下着が紐パンって、どういうことだよと。

さらに挙句の果てに避妊の方法についてまで聞いてきました。

この時は私が不意に妊娠しないようにという牽制かなと思ってましたがそうではありませんでした。さも同級生との恋バナのように「コンドームを使ってるの?それともピル?」といったことを聞いてきました。いくら親であったとしてもそんなところまで聞かれたくなくてうやむやにして聞かなかったことにしました。

父は不倫相手と家の中間場所名古屋まで出向き、不倫相手と接触禁止の誓約書を交わしこれで終わりにしていました。とても父が疲れ切った顔をしており、もう母の考えがわからなくなりました。

 

 

余談、帰省したときにばったり家にきたJWに忘れ去られる私

私も結婚し、関西から関東へ移住してもう10年近くなります。

たまに、帰省をしていたのですが最近は時間が取れずなかなか帰れていません。

このたまの帰省の間にJWが実家に訪問してきたことがありました。勧誘ではなく、一応お休み中という母にわざわざ雑誌を届けに来てくれていたのです。お優しいことで。しかしこのとき笑いそうになりました。だってあんなに隣人にやさしくとかなんだとかほざいていたJWの方、かなり昔といえども私と顔を合わせ話したこともあったのに私の存在を忘れていたんですよ。顔を覚えていないどころか「この姉妹には一人娘がいる」ということ自体きれいさっぱりなかったことになっていました。

なので私が玄関に出た時に

「あ、あれ?ここは〇〇さんのお宅…ですよね?」

「えぇ、そうです。娘です」

「娘さんがいらっしゃったんですね、初めまして」

「いえ、お会いしたことありますよ。最後は中学校の時だったのでお忘れかと思いますが」

と嫌味ついてしまいました。気まずそうにそそくさと帰って行った後ろ姿に少しだけすっとしてしまった私は性格が悪いです。ま、人間、会わない人なんて覚えてないでしょうが、存在そのものすら忘れられてんですから笑いますよね。

 

 

 

最近の母との関係

母とはもう一年半ほど前から連絡を絶っています。というのも、その一年半ほど前に私の両親は離婚をしました。正直言ってまあ、離婚は秒読みだろうしいつ離婚してもおかしくないし、双方がまた再婚したって私は気にしません。

ですが、その離婚の方法について私は母にもう限界と思いました。

お気づきの方はいらっしゃると思いますが

「不倫相手といまだに10年近く続いていて、その不倫相手と今暮らしている。しかも私が住んでいる場所から一時間半ほど離れた場所に住んでいる」

いや、再婚するのは良いんですよ。

でも、先に離婚をしてから不倫相手とやりとりするのが筋ってもんだろと。挙句の果てにその不倫相手、既婚男性です。まだ未成年のお子さんがいらっしゃいます。しかも、今現在、その男、自分の妻と離婚をせず母と暮らしているのです。

関係者全員が大人として恥ずかしいと私は思います。

そんな不誠実なことをする母に私はどうすれば感情の折り合いがつけられるかわかりません。

母は私に対しては「親なのだから自由に会って遊んで悩みだって相談してくれば良い、逆に何故あの子が怒っているのかわからない。私は悪いことなんて何もしていない。」と素で思っています。

きっと、JWのことがなければどこか時間薬で折り合いがつけられたかもしれません。でも、この母の今までの行動はJW漬けにされた子供時代の私を首を絞められて苦しかった私を泣き叫んだ私をすべて否定されたような気がして、私は初めて母のLINEをブロックし電話番号を着信拒否にしました。

今、ブロックしているLINEを解除したが最後、怒涛のような暴言罵詈雑言と泣き言や上から目線説教がくるのだろうなと思い、今はパンドラの箱としてしまいました。

父は父自身と母は紙切れ一枚で繋がっていた他人でも私と母は親子なのだからどこかで落としどころをつけて振り上げたこぶしを下ろしてほしいと願い、時間を合わせて旧家族会議を開催しようとしていましたが、私が不妊治療が実りおなかの中に子供ができました。なので今はストレスをわざと与えないでほしいと頼み先延ばしにしています。

でも、私は母にこの子供を会わせたいとどうしても思えません。きっと会わせたらなにかしらの援助はしてくれると思います。でも、それは私が受けるのは間違っている気がします。

まずは彼女と不倫相手の男に求めるのは相手のご家族、なによりもお子さんにたいして土下座してこいです。そしてその子のすべてをしっかりと支えろです。私の母は顔も名前も知らないそんな子の幸せとこれからを奪ったのですから。それをしてから私と向き合ってほしい。私はもう、母の玩具ではないですから。

 

にしても、この母の暴走で困っていることがありまして。

里帰り出産が難しくなってしまったことです。予告しておいたんですけどね。

JWを抜けてからと境界性人格障害

なんか、急にアクセス増えてて驚きです。

そして放置から久々に。

 

JWを抜けてからのお話です。

まあ、こっからはJWは関係なくなります。

冒頭で私の母が境界性人格障害であると書きましたが、ほぼそれに振り回された思春期です。

 

中学に入ってから父が自営業者となり、自宅を仕事場と兼任し、DTPデザイナーである母の力を頼りました。

母からすれば全てが不本意だったんだと思います。四六時中、旦那と一緒で家は事務所。

息抜きに始めたであろう洋裁家の祖母を使ったハンドメイドバッグのデザインと作成とネット販売。このネット販売も雑誌に載るほどの規模になりました。

オンもオフもない環境。

子供はというと勉強そっちのけでネットにのめり込んでいる。

正直なところ、鬱病になっても仕方がない環境だったんだろうなと大人になった今はわかります。

 

ある日突然、父に母が鬱病になったと言われました。でも私はピンとはきませんでした。

かれこれ10年以上前のこと、鬱病という単語が世間で出回って浸透しだしたころではないでしょうか。

鬱病というものがなんなのか、母が一体どんな病気でどんな薬を飲んでなぜ毎日寝てばかりなのか父は一切説明してくれませんでした。ただ「お前がネットをしている姿、勉強以外のことをしている姿を見ているのがストレス」と私が病原体のような扱いをされ、隙を見てネットをしようものなら「お前は思いやりがない」と言われました。

この辺りでもう、思いやりってなんなのかそもそも一体家で何が起こってるのか理解出来ず混乱しながら生活しか出来ませんでした。

母は次第にJWの集会にも行かなくなり家で突然ブチギレて暴れ倒す爆弾みたいな扱いになっていき、母本人も爆弾扱いにイラつきの無限地獄に陥りました。

私はというと家にいても誰も話をしてくれないし聞いてくれない、ネットの世界と漫画の世界にどっぷりとハマり、塾に通っていたのでテストは常に平均ちょい上ぐらいでしたが、家でやったり纏める提出物が皆無。成績も2と3の数字が乱舞する有様でした。

家事手伝いもほぼ一切しませんでした。たまに料理を手伝うぐらいはしましたがら反抗期だったからかよくわかりませんが、手を出すと負けというか、学校も塾も行っているのになぜそこまでしなきゃいけないんだというクソガキ心境でした。それもまた余計にストレスだったんでしょうね。

でも、自分の思った通りに私が動かない生活しないからストレスだったということでしょ?となんとなく昔から思っています。ろくに話しも聞かない話してもくれない、そんな親に対して信頼も信用することは難しいと思います。現に母は自分の思ったとおりに周りが動いてくれないといった内容の愚痴をこぼしていました。

 

中学から高校に上がってから、それは余計に酷くなりました。その頃には母の人格障害が発覚した、さらに母の状態は悪化というか激化し、ほぼ毎日家を飛び出して自殺未遂を起こしてパトカーで帰ってきたり、薬を大量に飲んで胃洗浄の為に救急車が毎夜家に来たり。

それが嫌で、家にいる時間をなるべく減らす為友達と遊んだりバイトをしたりしていました。

この時の友人が所謂ヤンチャ系ではなく本当、オタク系の落ち着いた子達だったのは救いだったと思います。男しかいなかったけど。

はっきり言って、そんな状態で精神は安定せず、徐々に学校に行けなくなりました。恐らく軽度のパニック障害を発症していたんだと思います。学校が近づくにつれ胸が苦しく、席に着いてクラスメイトがざわつき先生の声が聞こえる環境が無性にイライラして呼吸が浅く叫び声をあげたくなる衝動に駆られ続け、一限程度の時間も席に座っていられず、保健室に行って先生と話して泣くを繰り返していました。

親に相談しても嘘吐きで興味を自分に持たせたいだけ仮病を使うな学校に行けだけを繰り返され、結果、朝は学校のある時間は鞄に着替えを詰め込んで制服を着て学校とは反対方向にある繁華街で遊び、午後になったら反対方向の電車に乗って学校に行き友達と話してからバイトに行く。そんな生活をしていました。

結果的に単位ギリッギリ。

2年から3年に上がる時に体育の単位を落とし、温情として一週間放課後でダラダラした補修をして進級。

本来はバイト禁止でしたが、保健室の先生に事情を話してスクールカウンセラーの方から私のバイトを黙認してもらうようにお願いをしました。家から逃げたくて逃げたくて、唯一落ち着ける場所だから取り上げないでくれと。

 

母は母で自分が爆弾扱いされていることが不満で、家族からの当たり前の心配りが自分のご機嫌伺いをしていると疑心暗鬼で全部に当たり散らしていました。

休日のお昼に父が仕事で私と母だけで家に適当に食べられるものが無かったので、チャリを走らせてパン屋で適当なパンをいくつか買って帰り一緒に食べようと差し出すと

「私のご機嫌取りをするな!!!!」

それだけのことに激怒してパンを叩き潰して私に投げつけふて寝。そのパンから飛び出た中身が電気の傘に飛んでへばり付いたのを覚えています。

激昂する日も多かったですが穏やかな日もあり、その時は普通に話したりすることもありましたが、まあ、話している間に面倒くさくなるから無視がよくありましたが、まだブチ切れられるよりマシでした。

 

そんな日の中、私に初めて彼氏が出来ました。その日は母が落ち着いており、彼氏ができたことを話すとブチ切れ激昂。

「淫乱娘!!ドーナツ女!!!」

そんな感じの罵倒プラス罵倒メールを一晩かけて送り続けられましたが、一晩経つと落ち着き放置の方向に舵がきられました。

私は逃げるようにバイトにプラスして夜は彼氏の家に入り浸り、22時に帰宅して直ぐに寝る、土日はそれが昼間からといった生活になりました。

父は父で揉める原因が少なくなるならとその生活を黙認。全員が母に振り回されることに疲れ切って、ブチ切れ地雷が一つでも減るならばそれで良いとなっていました。

 

ほぼ毎日自殺騒ぎに怒鳴り声、車で1時間程かかる親戚と喧嘩して大暴れしたりしている家庭環境でよく暮らしてたなと今では思います。

軽度パニック障害らしい症状もありましたが、高校に入ってからバイトや彼氏の家という家の外という逃げ場が無ければ恐らくもっと私の精神をやられていた気がします。あと、「どうでもいい、面倒くさい」が私の性格の根底なせいか無駄に関わったりすることをしなかったのも今思うと良かったのかもしれません。

 

高校終わり頃はこんな感じでしたが、高校を卒業して専門学校に上がってから母の調子が良くなってくる代償に私の幼少期を潰したJWを捨て始めました。

JWでした、転機は中学校です

一度書き出すとうわーっと出て来てしまいますね。自分のブログだから自由です。

 

きっかけは社会の授業

タイトル通り、私が抜けたのは中学校の時でした。正確には小学校高学年ぐらいでしょうか。ずっとなぜ自分は周りの子供と同じことが出来ないのかして貰えないのかという不満が募り募っていました。そんな時に、社会の時間に憲法の授業が行われましたそこに「信仰の自由が全員にある」そんな当たり前なことを学び目から鱗が落ちました。強制的に学ばさせられている現状はおかしいんだ憲法違反なんだ!と光が射した気分でした。

JWは何故だか白か黒!0か100!といった極端なところがあります。わかりやすいのは排斥という制度です。喫煙は体を蝕む毒だから禁止というのがあり、タバコ一本吸おうものなら即排斥。婚前交渉をしたら淫行の罪、なんでしたら夫婦の離婚は浮気のみが認められるそれ以外は許されずそれでも離婚した場合、次に再婚したら淫行で排斥です。

この排斥というのは組織内で【対象者を死者と同じ扱いをする】ことであり、街中でばったり会って挨拶の一つもしてはなりません。家族ですら存在を無視しなければならないのです。だって死んでいるのも当然ですから。

エホバの証人エホバの証人であればいつか来るハルマゲドンで救われ、エホバの証人の死者は楽園で復活し若い体と清い心で不老不死の永遠の命を手に入れるというのがお題目です。なのでその楽園への最短切符を自ら放棄したのなら死ぬんだよね?ってことで、死んだ人扱いの無視が始まります。愛をもち隣人に寄り添えとかいう協議はどこいったんだという扱いです。

話を戻しますと、憲法という後ろ盾を得て私は母に「お母さんが私に行なっているJWの強要は憲法違反だ!」と教科書片手に詰め寄りました。ですが「あんたはサタンが作った法律とエホバの言葉どっちを信じるんだ!」と世の中の法律憲法はサタンが作った悪魔の物だから関係ないと怒られる平手が飛んできました。ここら辺で私は一度諦めました。

 

決定打、母に首を絞められる

中学校に上がるとマンション住まいから一軒家に変わりJWの地域も変わりました。父が会社を辞めてDTP事務所を構えて家に戻ってきました。といっても引き継ぎなどがあり最初の一年程は単身赴任のままでしたが以前より父が家にいる時間はとても多く、やっと家に味方が出来たことが嬉しかったです。

そんな中です、ある日曜日の朝、集会に行く前に雑誌の読み合わせをしている最中に私はもう行きたくない。小学校の時のように嫌がらせをされたり当然のことができない環境をまた作るのが嫌だと叫びました。

しかし母が認めるわけもなく、平手だなんだと飛んできました。私も力がついてきて自分の身は守れましたが、人生で初めて私は走馬灯を見ました。

「ハルマゲドンで死んで我が子が復活しないならまだエホバの証人である今私の手で殺してやる!!!今死んだら楽園で会えるやろ!!」

の叫び声をあげながら私の首を絞めてきました。

「あ、死ぬ」

と息は苦しいし目の前には凄い形相の母がいるしで混乱した私は

「いつもいつも暴力ばかり振るわれて嫌に決まってんだろうが!!」

叫んで突き飛ばしました。母は唖然とした顔をしてすぐに時計を見てから家を飛び出して行きました。この期に及んで集会に行ったのです。

二、三時間後に母が帰ってきたら私は確実に死ぬと思い、友人に電話して家に避難させてもらいました。皮肉にも寺の子だったので文字通り駆け込み寺をさせていただきました。

行く前に電話をして事情を話してから行きました。友人のお父さんと話をしました。さすがお坊さん、親身に話を聞いてくれて、泣く私を辛かったねと一言だけ言ってくれたのが救いでした。母から受けた仕打ちをきっとJWの人は

「サタンが貴方の心に取り付こうとしたからお母さんは愛の鞭を振るったのよ」

「あなたはお母さんに救われたの。ちょっとやり方が間違っただけ、許してあげなさい」

と言って母を擁護したことでしょう。でも友人のお父さんはただ辛かったねと言ってくれました。それがどれだけ嬉しい言葉だったかわかりません。父の連絡先を教えると、父に連絡をしてくれました。その日は一日友人の家に泊まり、家へと帰りました。

帰る前に父と友人のお父さんと少し話をしてました。宗教は難しい問題であること、強制すべきではないこと、それに命を奪うような真似はおかしいことを言っていたと聞きました。当然のことです。父も分かっていました。でもこれを母は分からなかったのです。

家に帰り、久しぶりに家族会議が開かれました。父はもうこんなことをするほどのものかと母は我が子を守ったのだと主張し続けて私はもう嫌だと言い続け、激昂した母が手を出そうとしたら父が止めるという感じの家族会議です。

最終着地点として「集会には行かなくていい、ただし週に一回、幼馴染であるJWの姉妹が来て研究をするそれだけでいい、それでもダメなら辞めていい」という折半案で落ち着きました。

 

週一の研究も一月で限界

火曜日の集会の日に集会のために準備をしなくていいという初めての経験をした時はドキドキとソワソワが同時に襲って来ました。

本当に行かなくていいのか、母の顔色を見てドキドキしながらテレビを見ていました。背中には母からの何か言いたげなきつい視線が突き刺さっていましたが、乱暴にドアを閉めて出て行きました。初めて火曜日の夜にテレビが見れました。自由にテレビが見れたのがどれだけ嬉しかったか。金曜日には初めてMステを見れたのです。やっと開放感を感じることができました。そして約束の週一の研究と最初は多少話を聞いていましたが、一月経った後わざわざ来てくれていた姉妹に私は切り出しました

「もう私にとってJWは苦痛でしかないから辞めたい」

すると姉妹はわんわんと大泣きし始め

「貴方は恵まれてる!好きなアニメが見れて漫画だって先に読める!私はドラえもんすら禁止にされて育った!なのに!!」

知らんがなそんなもん。なら貴方も辞めたら良いやん。としか思えず泣き止むのを待ちました。

そして最後にありがとうともう私は戻らないと言ってその日が最後となりました。

 

 

これで私のJWは終わりましたが、母との話はまだまだ続く。

前述した母の境界例人格障害がこの時期に発覚した家庭は完全に崩壊しました。

JWでした、叱られるのが苦手です

恐らくJW2世の方は怒られること、叱られることに対して恐怖感があるのではと思います。

 

理由は下記記事が大元です

JWでした、鞭は痛い - 私と今とたまに母

 

叱られる・怒られる=武器を使った体罰が私達二世での共通認識かと思います。最近の世代では体罰が減っているとも聞きますが、まだ1990年代始めの頃は体罰推奨でした。なんでしたら「愛を持った鞭は痛くない!」とか組織自体が宣言してました。お前は打たれてないのによく言うわ痛いに決まってんだろ。とまぁ、そんなことを思いながら集会で大人しーくしてました。

 

これは私の性格の問題もありますが怒られたら必死に自分が悪くないことを探します。いかに殴られないかいかに叱られないかということに必死になります。だって殴られるんですから必死です。

言い訳してさらに怒られるを繰り返したり口八丁で矛先を変えたりしてそれだけで頭がいっぱいになります。そんなことしたって余計殴られるんですから意味ないんですが少しでも殴られることを減らしたいという防衛本能だと思います。

たとえ自分が悪くても叱ってくれた人とは自然と距離を置いてしまいます。今回はちょっときつく言われただけだとしても次は殴られるかもしれない次は怒鳴られて罵倒されるかもしれない。と完全に馬鹿な自衛本能が働きます。

私には怒られるという行為自体が暴力に感じてしまう、そういう刷り込みがどうしてもあり、いつ手が飛んでこられても良いように身構えます。母は私の年齢が上がってからはお尻を打つことをやめ、次は顔面平手打ちに変わりました。反射神経が研ぎ澄まされ、平手打ちガードの速さはなかなかだったと思います。両手分ガードした時の爽快感としてやったり感に悔しそうに余計に怒り狂う母の顔に優越感を抱いたことを覚えています。

 

集会が優先子供は二の次

小さい時、押入れの中で折り畳まれた布団の中に入って寝るのが好きでした。小学校一年生のある日曜日の朝に押入れに潜り込んで寝ているといつのまにか集会に行く時間になっていて母が私を探していました。その時、このまま寝ていたら怒られる、でも行きたくない。私は押入れの中で息を殺して母の怒声と足音を聞き、布団と押入れの隙間から様子を伺いました。

一度は押入れを覗きましたが怒りのあまり見回しただけで凄い勢いで押入れを締めてその場から離れました。今出たら間違いなく尻百叩きだと確信して余計に出れず震えていたら

「勝手にしろ!ハルマゲドンで滅されろ!!」

(要約:集会に行かないなら死ね!!!!)

と家中に聞こえる声で叫びものすごい音を立てて私を置き去りにして集会に行きました。押入れの中からそっとでてガタガタ震えながらリビングで一人泣いてましたが結局泣き疲れてソファで寝てしまいました。

ハルマゲドンとはJWで滅びの日とされ、エホバの証人以外全員死ぬというもので、ハルマゲドンで滅されろはど直球ストレートで死んでしまえということです。

怒り狂うと小学校一年生に対してこの調子なのでこの日帰宅した母から速攻でビンタで叩き起こされ「あんたがこなかったからみんなに心配されて私が恥をかいた!」の怒声とともに婦人ベルトによる尻百叩きの刑に処され泣きすぎて喉がガラガラになり、どれだけごめんなさいと言っても一日中無視で自分の部屋に閉じこもりました。

 

子供を犠牲にするほど褒められる

この日母が他の人にどう言い訳したかはしりません。お父さんとどうしても遊びたがったからとかお婆ちゃんの家に居るとかそんなことを言ったのでしょう。

基本的にJWは子供が犠牲になって居る姿を見ると褒めちぎります。風邪ひいて顔が真っ赤になっているのに集会に来たり奉仕に行くと普通の人なら「何してんだ!家で寝かせろ!!」でしょうがJWではこんな感じです。

「熱が出ているのに集会に来るのは偉い子!」

「エホバもきっと褒めてくれるわ!」

「こんなに霊的に頑張る子にはエホバがご褒美をくださるわ!」

てな具合です。親も我が子をサタンに売らない為に隙なく頑張る良き親と褒められます。さすがに吐いて出しての上から下から状態とかだと無理させられることはないですが多少熱出てるぐらいなら引きずられていきます。

学校でも多少の熱だと行けと言われたりするので、私は休みたがりになりました。大人になった今も休みたがりで、どうにもダメです。

 

集団生活に強いストレス

そもそも学校では多少なり嫌がらせや距離を置かれたり、集会では褒められる行動をしなければ家では殴られる。集団行動の中に入れられ続け、私は集団行動が嫌いです。

会社にも通っていますが毎日同じ場所に行き、同じことをし続ける。これはきっと当たり前にできて当たり前のことですが、怒られるリスクが高い場面でいかに怒られないかいかに叱られないかに神経を使う為、かなり疲れます。

少しでも怒られるとパニックに陥ります。しかしこれはきっと他の人から見ると「甘え」なのです。でも根っこには執拗な体罰モラルハラスメントからの怯えです。しかしこれを誰かに主張して譲歩してほしいとは言えません。

 

怒られること、叱られることでパニックを起こす人は居ます。精神が弱いからという人もいるでしょう、でも、私のように体罰モラハラからの恐怖に怯え続けている人もいます。これを取り除くにはどうしたらいいのかぼんやりと考える日々が続いています。