私と今

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

不妊治療してました-1

JWについての記事は書くことはしばらくないかなということで、不妊治療について書いてみようかなということで、カテゴリー作ってみました。

私の今年齢は32歳、不妊治療をするには正直若い年齢です。治療を始めたのは27歳の頃でした。自分でもまさか不妊治療を行うなんて思ってもいなかったです。さらに、自ら子供を望むなんて思ってもなかったです。なのでそこら辺の事を振り返ってみようかなという具合です。

不妊治療をしている方のブログを見ていると、色々と治療内容を英単語に直して書いていらっしゃる方が多いのですが、私は「なんかよく分からん」ので、英単語的な用語では書かないようにします。英字に直されても、読んでる側には伝わりにくいんですよね。特に始めてみようという人には。っていうことで、略称ではなるべく書かないように努めていきます。

 

 

始めたきっかけ

まず、不妊治療を始めたきっかけは生々しい話ですが、ある日の夜に性交痛に襲われたことからです。そんな変なことをしていたわけではありません。普通の、ごく普通の性行為をしている途中に子宮の奥から急に激痛が走り、そのままでは痛みが引かず鎮痛剤を飲んで中断しました。こんなこと初めてだったので、かなり混乱つつもとりあえず寝て「もしかして性病になってるんじゃないか?!」の不安が大きく、翌日速攻産婦人科に行きました。

正直、性行為をしてたらめちゃくちゃ痛いかったんですよ!とか恥ずかしくて言いにくかったですが、痔の診察されるよか恥ずかしくないわと開き直って診察。

(余談ですが、痔の診察、婦人科の診察より恥ずかしかったです)

医師の問診と女性なら大体皆さん経験している強制的に足開いて局部をぱっかーんされる診察台で診察をした結果「子宮内膜症」と診断されました。とりあえず性病でなかったことで一安心でした。

 

 

ちゃんと受けてた健康診断+婦人科検診

ここで、婦人科検診をちゃんと受けていなかったのかと医師にも聞かれましたが、年に一回、会社の健康診断と婦人科検診を受けていました。婦人科検診では乳がん検査と通常の検診両方を受ける形なので、毎年異常無しでした。今回の診察を受ける丁度一年前ぐらいにも健康診断を受けていたので、まさか自分に子宮内膜症が発症しているなんて思いもよらず驚きました。

子宮内膜症若い女性にもおこりやすい病気で、月経の血液が子宮外のところにたまったりして排出されず溜まってしまったりする病気で、私の場合は左卵巣に血が溜まってしまい、チョコレート嚢腫になっていました。

通常2cm程の卵巣が肥大化し、一回り程大きくなっていたようです。

子宮内膜症の症状として

・性交痛

・月経困難症

・月経不順

があるようです。

月経困難症は酷い生理痛などがあげられるのですが、私の場合は昔から重い月とそうでもない月とがランダムであり、とりあえずロキソニン飲んで寝てれば良いぐらいのもんだったので全然気づいてませんでした。月経不順に関しても、元から一週間二週間のズレはざらで、無排卵月経を突然起こしたりもともとのホルモンバランスの関係で不順気味だったのでここでもまったく気づきもしませんでした。そんなこんなで性交痛で初めて自覚症状を持ったという流れでした。

そこで医師に言われたのが、これ以上大きく育ちすぎると卵巣が自重に耐えられず垂れ下がり、切除したり入院するということになるから治療は早くしようということでした。月経の血液が養分になるので月経があればあるほどこの子宮内膜症は悪化します。なので、早くに手を打たないと救急車コースになります。そこで医師に上げられた治療法は三つありました。

  1. ピルを飲んで月経を止める
  2. 腹腔鏡手術を行い嚢腫を取り除く(効果は一時的)
  3. 妊娠をする

です。2の手術以外は月経を止めるという、患部に餌をやらずに治まるのを待つ方針です(あってるかな)

そこでピルはいつからいつまで飲むのかと聞きました。

「人それぞれで効く期間が違うから何年もかかるかもしれないし、数か月で済むかもしれないから分からない。それに副作用の出る出ないで薬の調節もしなきゃいけないから、明確な期間は出せない」

の返答でした。人それぞれというところと薬の種類についての説明をうけ、ここでふっと【妊娠できる年齢の期限】が頭をよぎりました。40代でも妊娠する方がいるのは知っていましたが、個人的な区切りとして35歳と自分の中で線引きをしていました。そこでいつ効くかわからない薬を飲み続けるよりは妊娠の手段をとった方が、一挙両得なのではないかという考えに至りました。病気の治療をしながらも子供を望むという方針です。医師に不妊治療についての質問もこの時にいろいろと聞きましたが、この時にこの医師に担当してもらったのが良かったと今でも思います。通常、避妊せずに性行為を2年以上続けているのに子供ができなければ不妊治療に踏み切ることも良いんじゃないかという言葉ともに

「貴方が一番体を使うけど、不妊治療をしたいと思うならまずは旦那さんの精子を調べてから考えるといいかもしれないですよ」

と言ってくれました。これは私一人で決められることではないので一度医師に保留という形でその日は月経困難症を軽くする漢方薬だけを貰って帰宅しました。そしてその日に旦那に病気のことと治療について話をしました。

 

 

旦那が思ったよりあっさり承諾

医師の言葉があったのが良かったのかもしれません。旦那はあっさりと不妊治療の第一歩を承諾してくれました。次の診察時に精液を入れるカップを貰って精液検査を受けました。結果としては、正直なところ良くなかったです。平均値を下回る数値が出ました。ですが、その日の体調やその場で採取したわけではないので誤差もあるけれども、不妊治療をメインで行っているクリニックに行くことを担当医に勧められました。通っていたところが総合病院だったので、知識はあるけれど密にしっかりとした診察をするのは難しいから専門的なところに行くのが一番良いということです。

そしてそれをそのまま旦那に伝えるとこれまたこっちもそのまま素通りあっさり承諾でした。むしろ旦那からクリニックを探してくれました。

そして場所を変え、専門クリニックへと移り、本格的に不妊治療を始めました。

 

 

子供きらいが不妊治療に踏み切った理由

 なぜそこまですんなり承諾したのかなと疑問だったのですが、旦那が街中で子供を見る目がどこか羨まし気な雰囲気もあり、私にもよくあの子が可愛いと話すことが増えている時期でした。ですが、私は昔から子供が苦手だと言っていました。

理由としては、子供と触れ合う機会もなく育ってきたこと、自身の虐待に近い宗教の押し付け環境で育ち自分は子供を育てる立場の人間ではないと自分を責めていることが理由で私は子供が苦手だと公言していました。

なので、旦那自身も強要はできないしかといって子供は欲しいという気持ちでいたようです。そんな時に私の病気と、不妊治療の話が出てきて、それに乗っかったという具合でした。

私の考えが変わった理由は自分でもよく分かってはいません。でも、タイムリミットを意識したこととピルをいつまでも飲み続けていつまでも月経を止めるよりもという考えが鮮明にできたこと、それにもう自分ひとりではないから旦那にも頼っていいんだという意識の変化から私も子供を持とうという考えに子供きらいからシフトしました。

旦那には将来私が旦那から切り捨てられないようにというリスクヘッジとは言っていますが、このまま自分の我がままで子供を持たないという選択肢は違うんじゃないかという考えもあり決断した次第です。

 

 

不妊治療は30歳後半からと思っていた

ぼんやりと、日々の中で子供ができてしまったらできてしまっただとは考えていたので、子供を持つか持たないかの葛藤は私の中で少なかったです。ですが、不妊治療という言葉が突然目の前にドンっと出てくるとは思っていませんでした。

なぜかというと、不妊治療を行うのは30後半の方が行うことだと思っていたからです。さらに高額な治療費と痛みというネガティブな言葉も多く、よもや自分に降りかかってくるとは思ってもいませんでした。もう少し自然で粘ってもと思いましたが、総合病院の担当医の「若ければ若いほど早くに成功する」という言葉を信じました。結果としては年はかかりましたが、時折休憩しながらでも4 、5年程で区切りをつけることができました。もしもこれが、ピルを飲んでの治療を選択したらと思うとピルが効く期間がいつになるか、さらにそのあと妊娠までの期間を考えると、正直なところゾッとします。年月もそうですが、金銭的にもずるずるといっていたかもしれません。

だから、まだ27という不妊治療をするには比較的若い年齢で治療を決断しました。

治療を始めてから「結婚後はしばらく遊んでから、仕事に集中してから子供を」という考えがいかに甘いかということを実感しました。時間が女性の体をリミットに迫らせることを自覚するのは子供が欲しいなら大切なことなんだとようやく自覚したときでした。

 

 

出だしは病気の発覚からでした。

こっから、正直きっつい治療の開始です。

クリニックに通いだしてからはまた次回書いていこうと思います。