私と今

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

JWでした、JWのリハビリ

母親とのやり取りから早一か月。時間が経つのは早いですね。びっくりです。

なんとなく、JWを抜けてからの生活を少し書いてみたいかなと思います。外から見ると私がどう見られているかはわかりませんが、元カルト宗教二世だとは思われてない、と、おもい、ます。ってか思いたいw

なんで回り道から今までを少しまとめてみました。

 

小学校時代=JW現役

ちょいちょいというかしつこく書いてますが、小学校時代は現役でした。普通に集会に連れていかれてものみの塔の雑誌に線引いて会場ではマイクを持って「エホバです!」って答えてました。一年生の頃は何の疑いもなく同級生や先生にエホバの証人について開けっぴろげに話してました。なんせそれが私の世界の普通でしたから。

二年生ぐらいから「あれ、私おかしい」と気が付いたのですが後の祭り。あの子は変な子というレッテルがべったり貼り付いて、おそらく教師からも少し要注意に入れられていたと思います。私の学校は二年ごとのクラス替えだったので三年生からはエホバの証人という言葉を封印してぼかしにぼかしました「お母さんがダメっていうから」とかそんな感じですが、まあ、同じクラスのままの子もいるのでそっからバレていくという具合で、6年間変な子というレッテルははがせずそのままでした。

 

中学校時代=JW脱走

中学校は全く違う地域に引っ越しをして誰も知り合いのいない環境になりました。そこでは一切宗教のかけらも見せず、校歌だってどうせ親見てないんだから歌えばいいじゃんという頭で歌ってました。そして母親と大喧嘩しJWを抜けてから。謎の解放感とどうすればいいのかという手探り状態となりました。

「宗教から抜けたんだから好きにすればいいじゃない」

と思うのですが、今まで宗教という物を支えにして掴まり立ちをしていたのにぱっと支えを無くして一人歩きをしろと言われてしまうと、次に掴まる物を自然と探してしまうのです。私の場合はインターネットに逃げてしまいました。

たまたま中学校で出来た友人がオタクでそこから私もオタクになり二次創作を知り、二次創作を公開するサイトを立ち上げました。結果的に考えるならこれがよかったかもしれませんが、インターネットの当時流行っていたチャットにどっぷりと依存。

気持ちがいいんですよ。誰も怒らないし手を上げないし、話を聞いてくれるし。

と、家庭がぐっちゃぐちゃだったのでいい具合に逃げ先になってしまいました。自分で作った二次創作にだって評価をくれて楽しくて。

何かを自分で作るっていうのが楽しくて仕方が無かったです。

この時初めて【自分が作ったもの自分のアクションに対して誰かが自分を認めてくれる】という恐らく小学校どころか幼少期で形成される自己評価という下地を作ることができたのだと思います。

JWはどれだけ頑張ったって

「エホバが助けてくれたのね!エホバが認めてくれるわ!」

と自分ではなくエホバに対して褒めちぎるのでその子自身を褒めて無い言葉ばかりを投げてくれます。

なのでインターネットの世界で初めて私というものを見つけて私という下地を作ることができました。

 

 

高校生時代=JWの反動

中学校から高校にあがり、JWを抜けたことと高校生という年齢になり親からは完全に親離れを促され始めました。冷静に考えて母子でJWという枠組みの中でべったり育ち関係性の歪んだ親子関係というのがわずか三年で解消されるわけもありません。さらに父は単身赴任に加えて母によって父子分断され私の心の育成状況なんて理解もしていない状態です。

高校生になり、逆に親が子に自由を与えた結果、不登校という形で反動がでました。

私の不登校は制服で家を出て鞄に忍ばせた私服を駅で着替えて街に遊びに行き、何食わぬ顔で家に帰ってバイトに行って遊びに行くという、一見学校に行ってる風に見えると不登校でした。

他記事にも書いてると思いますが、一種のパニック障害を引き起こしていたんではないかと、自己分析しています。学校の空間にいる状態で人の声を聴くとひどくイライラして泣きわめきそうになるという感じでした。

今思えば、親から無理矢理離れたことと不安定な家庭環境の中で周りからはもう高校生だからとわずかな甘えも許されない環境で、精神がひどく不安定になっていたのだと思います。

一度、学校をさぼってバイトに行っていたのがバレた時に、母から軟禁罰を下されて連絡も取ることもできず無断欠勤となり即バイトを首になったことがあります。

甘えていた部分もありますが自分の自分に対する処理ができずあっぷあっぷしていました。

 

 

専門学校時代=ほぼ売春、家はまだJW

18歳という枷がなくなり、売春行為に走りました。

誰でもいいから自分を認めてほしい必要とされたいというほんと馬鹿な発想からです。体を売るというのはとっても簡単です。

ネットでちょろっと年齢と地域を書き込めば男性がさくっと釣れます。さらに、私は胸が大きい方なので余計に釣りやすかったです。

性関係の時って、一対一でのやりとりなので自分が今必要とされているという感覚に陥ってしまい、しかもお金までもらえてずぶずぶと落ちていきます。これがまた、JWの鞭によって自己肯定感をガンガンに削られべきべきに折られた心理には相性がいいのです。

「かわいいね」「エロい」「気持ちがいい」

ほんと馬鹿なお世辞や欲望を自分にだけに向けられて必要とされる。

今までまともに誰からも【自分】を見てもらえず【自己】を認めてもらえず褒めてもらえない環境にいた私には実に染み入り気持ちがいいしお金ももらえるし、良いじゃないかと考えていました。

でもその代償として自己というものをがりがりと削っていきます。

自分の体を大切なものと思えなくなるのです。私はヘタレだったので、自傷行為はしませんでしたが、異性を拒みませんでした。性という形での自傷行為だったのだと思います。

素人AVの撮影だってしました。これは適当な男相手よりお金も貰えてもっと体を大切にしてくれるので良かったのですが後に残るという恐怖があったのでこちらは早々に切り上げました。

風俗店の体験にも行きました。こっちもお金はいっぱいもらえるのですが、男側にやさしさというのはなく「商品」とした扱いになり、しかもバイアグラを飲んでまで通う男性が馬鹿馬鹿しく見えて体験で終了です。

こんな中で、今の旦那と出会いました。

旦那も少し機能不全の家庭出身で性に対しても枷が若干外れていた人だったせいか、妙にうまが合い、今子供を持つまでに至っています。不思議なものですw

 

 

成人・結婚=家を出てJWとは完全縁切り

旦那が新卒として働くとき、どうせ引っ越しするならと東京に飛ばされて私も引っ付いて家を出ました。

引っ越す一週間前に「来週から東京に住むから」というだまし討ちで実家を飛び出しました。当然父や母からは落ち着いてからでいいのでは無いかと引き留められましたが、結果的に私は飛び出してよかったと思います。

実家を出てから、初めて親がいない自分の家を作っていく環境となりました。

最初に二年ぐらいは喧嘩だってありました。でも、母の爆発よりは全然マシだと生活を続け、やっと落ち着いた頃、友人から表情が丸くなったねと言われるようになりました。あんまり自分ではピンとは来なかったのですが、いつもどこか気を張っているように感じて怒りっぽいかったと言われました。

数年振りにあった友人からはよく笑うようになったと言われました。

そこからふっとそんなに変わったのか?と自分を振り返ってみる機会を増やしてみるとどうも本当にイラつく機会が減り何かを考える機会が増えたと実感しました。

あんな家にいたのだから仕方が無いと考えていたのですが、JW親という呪縛が取れたことが大きいのだと最近気が付いたところです。

 

 

JW親という呪縛

誰だって親というのはどこかで逆らえないと感じたり親だからという意識はあると思うのですが、JW親はモラハラ・宗教強要・鞭という名のDVで子供を支配します。親本人は全く無自覚で行ってるのがネックです。

ある程度自我のある頃に親がはまったという人は突然教育方針が切り替えられて困惑したという人もきっと多いでしょう。

普通の躾ではなく支配という形での躾を行った親は子供の心を縛り付けます。

そうなると「親に聞かないと」「親の判断を見ないと」となり【行動基準が親になる】という現象が起きてしまいます。普通に虐待児と同じ反応が見られるようになります。

一般的な虐待とは違い、明確に親からの愛情もしっかりと与えられることで、愛されることと傷つけられること、両方を知り愛情のほうにどんどんと依存していき抜け出せなくなる。長年そうした教育を行われると行動基準を自分に持つことができず、ずぶずぶと常に何かに依存しないと不安になるという心理状態になりやすく、依存している自分にさらに不安になる。そんな連鎖に陥ってしまう。

JW親の教育というのはこういった形で成り立っています。

なので、JW親というのは呪いであり呪縛です。

 

 

JW親の呪縛から抜け方

今思えばという結果と私にはあっていたというやり方ですが

・二次創作でもなんでも自分で何かを作り誰かから褒められるという経験を得た

・親にはできないことを身に着けた

・物理的に親から逃げ出した

・なるべく自分から親には連絡を取らないようにした

これが効果があったのだと思います。

前述した中学校の時にお遊びでやっていた二次創作、じつはこれが自己肯定感を養うための土台になっていました。これの何が良かったのかというと【自分が作った物に評価を下され、自分を褒めてもらえる】という承認欲求を満たすことができます。

この承認欲求が自己肯定感を作るための所謂ご飯になりました。

さらにこの二次創作物を公開するためのサイトを自分で作っていたのでHTML/CSSを身に着け、結果としてこれが仕事に繋がっています。

私の親はDTPデザイナーだったので、デザインの域は親にはかないませんが逆に親は私のコーディング技術は持っていないので【貴方ができないことを私はできる】という自信を持つことができるようになりました。

物理的に親から離れたことと連絡をなるべく自分からしないというのも、親に自分は自分でやってるという意思表示と、ストレス原との切り離しです。

JWの親は宗教を抜けば普通なので【親というのは子供が心配であるという心理だけ】は理解して、親からの連絡だけを受けるようにしました。元からさっぱりとした人達だったので頻繁な連絡はなかったのが幸いでした。逆になんの関わりのない祖母からの連絡が頻繁で、気が向いた時だけ電話をとってます。でも家を出た関係ってこれがちょうどいいんだと思います。

 

 

パートナーの理解

これが私の幸運だったというしかありません。

私の旦那は作った食事に対して必ず何かコメントをくれます。

美味しいとかこれは微妙とか。ほんの些細なことです。

あとはここを掃除したとかいうとそれをまた褒めてくれる。

それがあったので私も旦那が何かをしたら褒めるようになりました。

すると不思議なことに褒めるっていう行動は自分の心にも良い作用があるようで、徐々に精神が安定し、落ち着いていったみたいです。

JWの方がよく悩む「JWのことを言った方が良い?」という疑問。

私は言う必要はないと思ってたのですが、冷静に考えて冠婚葬祭などJWの常識が一般の非常識になりえることが多々ありすぎると思いなおし、軽くジャブレベルで話してみました。

最初はJWという言葉を使わず「実家がキリスト教かぶれだったから冠婚葬祭の常識が欠落しているかもしれない、その時は教えてほしい」といった感じです。

急にカルト宗教の名前を出すよりもぼかして伝えることで受け入れやすいかなと考えた結果です。それ程度で最初はいいのかなと思いました。

そしてその次、実生活にかかわってくることが出てきて初めて「実は…」と話してみました。

私の旦那は「ふーんそっか」で終わりましたが、ここで甘えて「JWだったんだから仕方が無いじゃん」とか思わずに「JWだったのは確かだけど彼が見ている私はJWのない私だから言い訳にはならない」と肝に銘じて「JWがあったにせよなかったにせよ私はこの性格なんだ」と自分を認めて自分を受け入れました。多分、この自分を受け入れられたのも二次創作などで自分を認めることができたからだと思います。

この次にどんなものでどう苦しんだから子供ができた時にこうはしたくないというのを映画などを見たときにちょこっとだけ触れてみたりして一気にわーっと出さないように頑張ってみました。

こうしてなんとか土台を作った、そんな感じです。

 

 

JWを抜けてから、いろんな回り道をしましたが、自分というものを作ることが一番のリハビリになったのかなと今は思います。

まだまだ、スタートラインに立ったのが遅く、未熟なところもありますが、まず自分を理解し受け入れ、自分を作るってなによりも大切なんじゃないかなと、最近実感しています。