私と今

元JW2世が過去を振り返りつつぼやくだけ

JWでした、良いこともあったんでは?

見てる人なんていないと思って放置してたら100人程アクセス頂いてたみたいでありがとうございます。

 

2回ほどJWへの恨み辛みをつらつらっと書きましたが良いところも書いておこうと思います。

 

1.国語の成績は良い

JWではものみの塔という設問がついた雑誌を一月かけて一冊読んでその設問にみんなで答えましょう。といったことがあります。

この社会はいかに悪魔サタンに乗っ取られているか、だとか、エホバはめっちゃ素晴らしいんだ!とか、死んだら楽園に行って永遠の命が手に入るよやったね!的なそんな内容がつらつら書いている雑誌です。内容はあんまり覚えてませんが、まぁ、どれみてもこんな感じです。

漢字の振り仮名なんてあるわけない。なんなら大人向けの文面です。

でも読めないと答えられないので、母親と二人で音読しました。読めない漢字は教えてもらいつつ、といった感じです。

おかげさまで小学校一年生に上がる前から漢字の読みは異常に早かったです。さらに、設問に対する答えの文章を見つけるという国語のテストぐらいでしかやらないようなことを常やってるので読むのも早く、読解力もあり、国語のテストは常に満点。漢字の書き取りは………置いておきましょう。

さらに設問に対して聖書から答えを探したりして辞書引きの練習もバッチリです。ここまでして母からは

「読書が足りない!!だからあんたは馬鹿なんだ!!!」

と言われてました。他の同世代の子供より文章は読んでたと思いますが、私が読んでいたのは本ではなかったようです。

 

2.なんか小話が書ける特技

JWには研究生→伝道者→バプテスマを受けた正式なJWといった階級的なもんがあります。

研究生は伝道者以上の階級の人からJWに対しての教えを教えてもらえることと集会で発言ができることが出来ます。

伝道者になると研究生を受け持つことができ、さらに金曜日の集会で小話を作る役割を割り振られます。この伝道者から受け持つことが出来る小話ですが、ほんと小話なんです。

週替りで担当者が変わり掲示板にリストが張り出されます。担当者には待ち時間10分程が渡され、集会の会長=長老からお題を渡されます。

一人で壇上に立って話すもよし、誰かにお願いしてお芝居を一緒にしてもらうといった感じです。

大体、壇上で立って話すのは男性で女性は基本誰かとコンビを組んで雑誌程度の小道具を使って「こんな風に奉仕活動をして信者を増やしましょう!」的な話の10分小話を行います。

この小話ですが、お題に基づいて設定から台詞や展開まで全て担当者が書き上げます。基本的にセリフを交互に並べた台本ですね。

自分は奉仕に来た人だとか、知り合いとかで相手はお題について悩んでいるとか、そんな感じの設定ばかりでしたが、10分程といえど、この尺に収めて話を書くのは楽しかったです。

これのおかげで【話を書く】という謎特技が身につき、バリバリ現役オタクな私は二次創作に役立っています。人気があるとかは置いておきます。あとECの仕事をしているのですが商品紹介文章書くのに重宝しています。

 

3.頭の回転は早い

文章を読むこと書くこと、内容を聞くこと、集中力を持たせることに対しては身につくので、子供の頭を働かせることにはうってつけだと思います。そこだけ。

ほんとそこだけ。

大人になっても頭の回転は速いと褒められることは多いです。頭が良いとは言われません、勉強出来なかったので頭の回転が早い馬鹿ってやつですね。それで良いですww

 

以上です

国語の面以外の恩恵はわたしにはありませんでしたwww

人によっては勉強をすることが苦でないとかそういう人も居るとは思いますが、私は学校も勉強、塾も勉強、JWも勉強で勉強が苦行でした。私に勉強をするという下地は出来ませんでした。

間違ったら手が出る、集中できなかったら手が出てくる、分からなければ馬鹿にされるそら嫌な苦行としかインプットされませんって感じです。

でも振り返ると本を読むのは大切なんだなということですね。

 

だからといってJWで国語力を身につける必要は一切ないですが。

JWでした、コミュニケーション下手な子供になりました

私はとにかくコミュニケーションが下手くそです。特に人のことを考えて話すことが苦手です。我が強い性格をしています。その原因はやはり、JWと母との関わりでした。

 

親子で依存になる環境

私の父は単身赴任で二週間に一回ぐらい帰ってくるかどうかで、基本は母との二人暮らしでした。

所謂ワンオペ育児で周りに知り合いもいなかった母はJWに入ったのだと思います。

これは後から、それこそ私が中学生の時に発覚したのですが、母は境界性人格障害でした。そのため、基本的に感情の起伏が激しく、機嫌の良いときは構ってもらえたり、一緒に遊んでくれたりとおそらく普通の母親でした。

ですが、怒るとくるりと掌が返り、叱るというより罵倒と鞭と無視が繰り返されました。ちゃんとした正当な躾のお叱りもありましたけど、これ確実に八つ当たりだよなってことも多かったです。一人っ子だった上に母一人子一人の生活でお互い感情の逃げ場が無く、親子で自然と依存の形となっていたと今思います。

特に、幼少期の私は幼稚園や保育園には行っておらず、JWの会衆内に同年代の子供は居ましたが、集会の日か奉仕の日の短時間少し話す程度で同年代の子供同士での触れ合いが少なく、親子の時間が必然と多かったと思います。

 

鬱陶しい子供のねえねえあのね!

子供の私では話し相手にもなれず、とにかく話を聞いて話をしたい子供の「ねえ!お母さん!ねえ!ねえ!あのね!あのね!」はめちゃくちゃキツかったのでは無いかなと思います。

母は私からの「あのねあのね」攻撃をそっくりそのまま口調も似せて真似すると私が嫌がって話しかけなくなると気付いてからは私が話しかけると真似して撃退もしくは話しかけられても無視をする、機嫌が良ければ相手をするといった感じで過ごしていました。日常の会話は母の機嫌がいい時で、普通の時は無視、機嫌が悪いと怒るだったので、母とのコミュニケーションは人と話すのではなく会話はご機嫌伺いでした。

 

所謂放置子

話したくても遊んで欲しくてもあんまり遊んでもらえないので私は近所の大きな公園に一人で行って、そこで遊んでいる見ず知らずの子供に声をかけて一緒に遊ぶを繰り返していましたが、今思えば他所の親御さんからしたら放置子が自分の子供に絡んでるという厄介な現状だったと思います。その場で遊び友達になった子供はすぐに親に連れられて帰ってました。それを無邪気にまたねと言って見送ってましたが放置子に懐かれる前にさっさと帰るのは当たり前ですね。

幼少期の私は外で見知らぬ子供と遊んで(少しだけ)、たまにJWの子供と遊んで、奉仕活動に連れていかれて集会に連れていかれるという生活でした。基本的に関わる他人はJWの関係者ばかりのため大人ばかりです。優しい人達だったので子供の相手をよくしてくれましたが、大人とのやりとりしかしていなかったせいか、幼稚園保育園辺りで培う子供同士のコミュニケーションが下手くそで小学校に上がった時に苦労しました。

物の考えや感じ方がJW基準であったため、変に大人しいというかどこか冷めてるところがあり、周りに大人ばかりだったので誰も話を自分に合わせてくれないし自分も話を合わせることが分からず、子供同士でどうすれば良いのかちんぷんかんぷんでした。

 

子供社会内での異物

コミュ下手に加え周りの子供と溝が出来る要因がありした。JWでは誕生日のお祝いや七夕、クリスマス、お正月、こどもの日から母の日父の日、バレンタインにホワイトデーなどありとあらゆる世間の行事を禁止していました。

そのため、誕生日やクリスマスに何のプレゼンを貰ったとか、図工の時間に七夕かざりや短冊を作ろうとか、そういったものに全部参加が出来ず、周りの同級生に「エホバの証人だから」なんて言おうものなら即変な奴扱いされるため、とにかく「お母さんからダメって言われてる」といっていましたが、結局浮きますよね。

しかもこの宗教の方針について、親が先生に口添えしてくれる訳じゃありません。【子供自ら先生に宗教上の理由により参加が出来ないと証言し先生に教えを広めなければならない】という決まりがありました。

一年生になりたての時はJWと一般的な感覚とは違うというのが分かってなかったので平気でしたが、流石に入学して時間が経って「あれ?今まで当たり前だったJWってもしかして変なの?」と気がつき始め、先生に言うのが苦になり、どんどん周りに自分の事を隠しました。

しかし、どれだけ隠しても奉仕の日にスカート履いて綺麗目なお洋服を着て、一軒一軒家を歩いて回る姿を同級生に見られてそれが噂となり「あいつは変な奴だ!!」となりました。

見られていた事を知ってから母に虐められるから学区内の奉仕だけは勘弁してくれと頼み込んでなんとか認めてもらいましたが、後の祭りでした。

 

JWが根本にある浮いた存在

激しい虐めはありませんでしたが、同級生には完全に距離を置かれ陰口をたたかれ、無視もありました。私の一挙手一投足を笑われ、女子によくある小さな折り紙をした手紙も回し読みされたりちょっとした嫌がらせがあり、友達も居て楽しく遊ぶこともありましたが嫌な気分になることも多かったです。

個人的にきつかったのはたまたま同じ誕生日の同級生が居て、目の前で誕生日会の話で盛り上がって居た時は羨ましく、それを分かって居たのか変な宗教のせいで誕生日会ができない私をくすくすと笑って居ました。

 

私は変?

母に「私は変なのか?」と聞いたことがありました。私が望んでいた答えは変じゃないよでしたが母からの返答は

「お前がスカした態度をとって変な子みたいな態度をとってる。お前が普通のことをしてないだけだ。気持ち悪い」

でした。これは未だに根に持っています。クールぶって斜に構えた態度をわざと取って気持ちが悪いと幾度となく言われたことがあります。普通で居ない私が悪いと言われても今まで培ってきた普通の基準がずれているのだから普通がわからず、とにかく親公認で私は変で同級生から距離を置かれるのは当たり前の気持ちが悪い子供なんだと混乱し、親への不信感が増しました。

 

視聴コンテンツの制限

さらに子供同士のコミュニケーションを下手にして居たのが一部アニメの視聴禁止と流行りのテレビ番組が集会に被さって見れず、共通の話題を作ることができなかったことです。

争い事を禁止とした教義だったため、バトル要素のあるアニメは基本禁止でした。我が家では不思議の海のナディアスラムダンクドラゴンボールetc...が禁止されて、見ているのがバレたら鞭がすっ飛んできてお説教でした。……なぜかウルトラマンセーラームーンは許されてましたが……。一部家庭ではSF内容があるからとドラえもんも禁止というところもありました。

そんな母も私が小学校に上がってから、教義でいくらJW以外の人(=世の人)との関わりを積極的に持たないようにと言われても、そうもいかず、同級生から浮いて泣いて帰る子供に対して考えを変えたのか、それとも父が何か言ってくれたのかは分かりませんが、当時流行って居たミニ四駆やラジコン、ポケモンなどの玩具が解禁されていき、学年が上がってから禁止されて居たアニメももう検閲するのが面倒くさくなったのか全面解禁され、やっと話題についていくことができるようになりましたが、集会のせいでMステが見れず、流行りのアーティストを知らずに育ち、今現在同年代との懐メロ談義についていけませんww

 

 

そんな形で、育った私は無事コミュニケーション下手へと育ち、未だに人との会話に苦労して居ます。子供の娯楽などを規制したっていい事ありません。自分の機嫌で子供を構ったって良い子供になんてならないです。親の顔を伺う鬱陶しい子供になるだけです。

 

正直、自分の要領が悪いところや斜に構えたような性格が浮いていた原因だったとは思いますが、もし、JWじゃなくて、普通に誕生日をしてクリスマスを祝ってと普通の子供たちと同じ経験をしていたらどんな性格でどんな生活だったんだろう、もっと友達もいたのかなと考えてしまいます。

JWでした、鞭は痛い

成長して家を出て結婚してからふと昔のことを振り返るようになり、なんだか色々ともやがたまり出したものの家庭内のことって誰かに零す訳にもいかず、かと言って吐き出したいのでブログに記載してみることにしました。

 

私は元JW二世として育ちました。

母がJWだったため強制連行といった具合です。といっても中学2年の手前あたりで抜けたのでもう30になった今はかなり昔の話になります。それでも、物心ついた頃から中学2年までの宗教というのは今でも心に影を落としています。これがもし、自ら望んで入って合わなかったからと抜けたものなら「そんな時もあったな」になったでしょうが、そうではない苦痛の記憶ばかりです。

 

まず、JWというものはおそらくどの家庭にも一度は勧誘に来ているであろうエホバの証人という宗教団体です。

ググってもらったら速攻で情報出て来るので内容は割愛します。

 

この集団、外から信者と接するとイメージするようなカルト宗教信者みたいな頭がふっとんじゃってる人のような印象は受けない人が多いと思います。普通で落ち着いた優しい人達、そんな印象を受けると思います。教義の中に優しく温厚に柔和であれというものがあるのでその影響ですね。

外に対してはとても優しい良い人達ですが中に入るとかなり吹っ飛んでるところがあります。

 

週三回の集会開始時間が厳守でした。

その開始時間が19時からと社会人からすれば定時ダッシュどころじゃないと思います。

そのため定職にしっかりと就けなかったり、就けても待遇が上がらず低所得な人が多かったです。普通の収入がある人は自営業で自分の仕事をしっかりと管理できる方ぐらいではないでしょうか。

これは仕事だけでなく子供にも影響します。

私が住んでいた地域は荒れた中学校の地域で中学受験する子も多く、私もなんやかんやで塾に通っていました。

低学年の頃は公文式だったので早く問題を解いてしまえば早く帰れました。おかげで暗算早かったです。……昔はw

問題は高学年になって塾に行ってからでした。塾の終了時刻が集会開始時間だったのです。家から集会会場まで車で一時間。さてどうするかというの、塾早上がりでした。周りの子供からなぜ帰るのかと追求され、宗教だからと言えず有耶無耶にして少し距離を置かれたりとしていました。

さらにこの集会が一時間ほどあり、退屈な教義話を聞かされるだけです。たまに休憩時間的に歌を歌わされる時に立つだけです。

その間、私語禁止。隣の親に話しかけた瞬間親から雷が落ちます。なんなら足がつかない大人仕様の椅子で足を揺らすだけで怒られました。さらに寝ても怒られます。

神妙にお話を聞いてお話をメモ(二度と見返さない)それ以外をしたら怒られます。

片道徒歩45分かけて学校行って塾行って間髪入れずに集会行って……子供の体力的に限界でした。

興味もない、大人向けの話をただじっとして聞かされる。そんな時間を寝ずに聞いておけというのは難しいと思います。しかし寝たら怒られる。もう必死でした。

ここで寝たら家に帰った時、大目玉間違いなしでしたから。

 

そしてこの怒られるというのがお小言レベルなら良かったと思います。

ですが、私が子供の頃は教義として体罰を容認、推奨していました。過激な体罰で虐待死した子供が発生した事件があったことを知ったのは抜けてからのことでした。JWではそのことに触れませんでした。

ただ「愛を持って鞭で躾をすることが良い子にする近道だ」と繰り返していました。

体罰はおそらく私の世代とその前はみんな同じだったと思います。所謂お尻ペンペンです。しかしそんな可愛いもんではなくゴムホースや女性用の皮ベルトや電気コード、ハンガーなど痛みを伴う物でパンツもズボンもスカートも履いていない生尻を力一杯叩くものでした。

さらに、生尻になるのを子供から自発的にさせることが重要でした。叩かれるのが嫌で逃げようものなら叩かれる回数が増えに増え、10秒経つごとに10発、100発ぐらいまで増え、叩かれる方もですが叩いていた母も武器を持っていると言えど手が痛かったと思います。

 

鬼の形相で待ち構える母の膝の上にうつ伏せで尻を自分で丸出しにして横たわり、比喩ではなく本当に喉が痛くなるほど泣き叫びながら打たれ続けます。

個人的に痛かった順は

1.掃除機の電気コード

2.ガス用のゴムホース

3.水道用のゴムホース

4.婦人用の細い革ベルト

5.プラハンガー

6.素手

でした。なので子供の私はゴムホース類と革ベルト隠しましたよね。そしてそれがバレてさらに打たれました。肉体的な痛みもそうですが、自ら尻を出し叩かれに行くというのは精神的にもそれは虐待であったと思います。

家庭によっては中高生になっても打たれていたという人もいるようです。私の場合は武器を使う鞭は小学校一年生ぐらいで終わりました。その理由が、一人で人形を使って母の真似をして遊んでいた私を母が見た時、私はホースやベルトを使って人形に鞭をして打っていたのだそうです。母は子供に対して日頃、自分がしている光景を第三者視点で見て怖かったんだそうです。これは子供に悪影響だと。そうは言っても、武器から素手に変わったかビンタになったかぐらいなものでしたが、大人が武器を持って怒った顔で待ち構えている光景がなくなっただけでも安心でした。

 

だからといって、小さな頃から怒られないように鞭で打たれないように過ごしていた子供が明るく子供らしい子供になんてなるわけがなく、しっかり顔色を伺う子供に育っていました。おかげで、母は私が心底面倒だったかと思います。なので母と私の相性は最低です。母本人はそう思ってないようですが。そこはまた改めてです。

 

最初はベースの部分だけまた次適当に。